YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

サッカーの才能0だった私 才能の正体とは…(前編)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。

さて、突然ですが、皆さんは

「あー、あの人は○○の才能があってうらやましいなあ。」と人をうらやんだり、

「私って○○の才能ないからなあ。」と思って暗い気持ちになったりすることはありませんか?

そんなことってよくありますよね。私の人生の中には、山ほどありました。

そして、その中でも一番そういう場面を経験したのが、サッカー人生の中でした。

「えっ?南さんって、確か、サッカー解説の仕事もしているって言ってなかったっけ?」

「サッカーの才能がない人に、そんな仕事できるの?」

と思われてますよね。

それが、出来ちゃうんです。今日は、そのことをお話しします。

私がサッカーを始めたのは、小学校3年生です。当時、私が通っていた小学校のサッカー部は強豪チームで、小学校1,2年生の頃の私は、放課後ジャングルジムやブランコで遊びながら、サッカーの練習に励む先輩たちの姿を「かっこいいなあ」というあこがれのまなざしで見ていました。そして、3年生になって部活動の加入が認められ、迷うことなくサッカー部に入部。

現在は、身長180cm、体重66kg、体脂肪率16%と56歳にしては、「スマートですね」と言ってもらえる体型ですが、当時の私はれっきとした「肥満体型」でした。身長は高い方でしたが、あきらかな体重過多のぽっちゃり体型。4年生の頃には、保健室から通知をいただき、母親に連れられて「肥満児教室」なるものに参加させられたくらいでした。

というわけで、サッカー部に入部し、さて、試合をするためにポジションを決めるとなったときです。監督jの先生から言われた言葉は、

「南、お前は背は高いけど、肥ってて走れないから、ゴールの前に立っとけ!」

これが、私の「GK人生」のスタートでした。

当然、私は心の中で

「体つきがスマートで、足が速い人たちは、サッカーの才能もあっていいなあ」

と思いながら、日々の練習に参加していました。

その後、35歳で現役選手を引退するまで、私のポジションは、ずっとGKでした。しかし、このポジションだったおかげで私のサッカー人生は充実しましたし、今の私があります。このあたりの詳細は、またいつかの機会にお話ししますね。

サッカー人生で、もうひとつ大きな節目がありました。それは、社会人選手としての現役生活を過ごした「熊本県教員蹴友団」(以下、教員団)の監督に就任したときです。

教員団では、現役選手の時から自分の才能のなさを実感する日々の連続でした。それというのも、私の選手歴は、地元熊本の中学、高校、大学で過ごしました。自分なりに努力を重ね、高校1年で全国高校サッカー選手権出場、3年で国体出場、大学では九州1部リーグ3位、社会人として国体に2回出場。これは、地方人としてはまずますの実績なのですが、教員団には高校、大学で全国的に活躍した選手が入団していました。その代表格が、私の1学年後輩である平岡和徳くんです。皆さんもご存じの通り、大津高校サッカー部の監督として、数多くの日本代表選手を育て、今も総監督をしながら、熊本県宇城市の教育長として活躍中です。彼の実績は、帝京高校の主将として全国制覇、その後、筑波大学の主将として活躍、世代の日本代表として何度も日の丸をつけてプレーをしています。

私が監督になったときは、平岡くんは現役を引退していましたが、似たような経歴を持った後輩たちが何人か入団していました。

「そんな才能ある選手たちのチームの監督か…」

自分の才能のなさに、再び悩む日々が始まりました。

ここからが本題なのですが、ここまででかなりの長文になりましたので、この続きは、明日のブログでお話しします。ご期待いただけると幸いです。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。今日も熊本は快晴。真夏日の予想です。太陽をいっぱい浴びて、素敵な1日をお過ごしください。