どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
そんな私ですが、実はサッカーを始めた小学生の頃は肥満児だったこと。そして、そのために、GKというポジションになって、
「体型がスマートで、足も速い人はサッカーの才能があって、いいなあ」
と思っていたこと。
また、監督になったときも、選手時代の実績が当時のチーム(熊本県教員蹴友団)の選手たちより劣っていて、
「自分には、このチームの監督を務める才能がないのに…」
と悩んでいたことを昨日のブログに書きました。
それなのに、今、サッカー解説の仕事をしている私の姿をみている人たちは、おそらく
「南さんには、もともとサッカーの才能があったから、今、この仕事が出来てるんでしょ。」
と思っている人が多いと思われます。
そもそも、「才能」とは何なのか?
辞書には、「物事をうまくなしとげる優れた能力。技能・学問・芸能などについての資質や能力」とあります。
「資質」ということは、もともと備わっているということなので、やはり生まれつきある人とない人がいるのか?
そんなことを考えている時に出会った1冊の本がありました。
坪田信貴著「才能の正体」(幻冬舎)という本です。坪田さんは、「ビリギャル」という著書を書いて、それがベストセラーとなり、映画化もされた塾の経営者です。現在は、人材育成の会社も経営しています。
「ビリギャル」は、偏差値30で学年最下位、通知表オール1だった「ギャル」のさやかさんが、坪田さんと出会い、慶應義塾大学などの一流大学に現役で合格するという実話です。私も教員として興味を持ち、本を読み、映画も見ました。
そんな坪田さんが「さやかさんは元々才能があったから合格できたんでしょ。」
といろんな人から言われたというのが、この本を書いた動機だそうです。
彼が、「才能がない」「地頭が悪い」「やる気がない」と言われながらも一流大学に合格した数多くの生徒たちのデータを分析して確信したことがありました。それは、
「才能とは、結果でしかない」
ということです。いわゆる「才能がある」と言われる人たちがいます。その人たちには共通点があります。それは、みんな努力していることです。ただし、「正しいやり方」を選んで努力しているので、結果に結びついているというのです。
努力をするためには、やる気が必要です。やる気の元となるものを心理学の世界では「動機付け」と言います。「動機付け」は、「認知」「情動」「欲求」の3つから成り立ちます。
「認知」とは、、「これなら自分に出来そう」「これは役に立つ」と思えるということです。
「情動」とは、「テンションが上がるわ~」という状態のことです。
「欲求」は、「本当にそれがやりたいと思うかどうか」です。
一時的にテンション(情動)が上がっても、欲求がないと長続きしません。
私が、教員団の監督になったときに、「自分に出来そう」と思ったこと(認知)は、海外サッカーを観て、研究することでした。もちろん、頻繁にヨーロッパに行くことなんて無理です。なので、WOWOW、スカパーなどの衛星放送と契約し、イタリアのセリエA、イングランドプレミアリーグ、スペインのリーガエスパニョーラ、ドイツブンデスリーガという世界の4大リーグの試合を中心にみまくりました。そして、ただ観戦するわけではなく、毎試合、ノートにデータを取りながら、分析的に試合をみました。その数は、5年間の監督生活で800試合になりました。
少年時代からサッカー大好き少年だった私は、新聞のテレビ欄にサッカー中継の文字を見つけるのを楽しみにしていました。しかし、熊本のテレビ局で中継してくれる試合は、正月の天皇杯と高校サッカーくらいしかありません。なので、中学時代の愛読書は「イレブン」という海外サッカーの情報月刊誌でした。これを定期購読していました。こんな私にとって、毎日、テレビで海外サッカーがみられる状況は、まさに「テンションあがるわー」(情動)です。
そして、その時の私には、サッカーに関する知識を身につけて「何としてもチームを九州リーグに復帰させてやる」という強い思い(欲求)がありました。
この3つがそろっていたので、800試合を見続けることが出来たのだと思います。
そして、そのことが今の解説の仕事に役立っていることは言うまでもありません。
皆さんもこのような視点で自分を振り返ってみると、「あー、自分にもこんな才能があった」と気づいていただけるかもしれません。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。週末が近づく金曜日。素敵な1日をお過ごしください。