YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

感謝!感謝! 父の日に想うこと…

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

自分のためのアウトプットとして書き始めたこの「YouTuber校長日記」ですが、書き始めから約1ケ月の昨日。ついに読者数が100人になりました!(今日の朝見たら99人に減ってましたが…(笑))

始めたときは、「あくまでも自分のアウトプットの場」ということで読者数など気にしていなかったのですが、全国のいろんな場所のいろんな職種の皆さんが読者になっていただけていることがうれしくなり、今は、それが私のブログを書き続けるモチベーションになっています。先日は、「初コメント」もいただきました。読者の皆様に、

「感謝!感謝!」

です。これからも毎日書き続けるつもりですので、今後ともご愛読のほどよろしくお願いいたします。

さて、「感謝」と言えば、今日は父の日ですね。

そんなわけで、今日は私の父の話をさせてもらいます。

私の父は、現在79歳。今なお現役で、小さな旅行会社をしています。

父が生まれたのは、昭和17年(1942年)なので終戦の3年前です。7人兄弟の長男(姉が2人いるので第3子)として、熊本県益城町で生まれました。父方の祖父は、若い時には八幡製鉄所(福岡県)で働いていて、その後、故郷の益城町に引き上げてきて農業を始めました。ですので、「子供の頃は、勉強なんてせんでよか(しなくていい)。畑の手伝いばせ!(をしなさい!)」とよく𠮟られていたそうです。妹が二人いるのですが、その二人を代わるがわる背負って畑仕事をよく手伝っていたみたいです。

そんなわけで、中学を卒業した父は「集団就職」で岩国(山口県)の大手繊維工場に就職します。そこで、働いたお金を元手に一念発起、熊本に帰ってきて「鉄道学校」に入校し、その後「国鉄(今のJR九州)」に入社。蒸気機関車の運転士となりました。

その頃、母と知り合い22歳で結婚。母は、母子家庭の一人っ子でしたので、母と結婚するために養子となり、旧姓の「石田」という姓は次男に引き継いでもらうことにして、「南」という姓になりました。

その後、ほどなく長男として私が誕生します。時は、昭和39年(1964年)の12月28日。その年の10月に東京オリンピックが開催され、新幹線が走り、日本が高度経済成長の入り口にいる時代です。

私が小中学生の時には、国鉄の運転士で長距離の乗務をしていたので、乗務の翌日は休みということで、よく当時、熱中していたソフトボールやサッカーの相手をしてくれたり、PTA役員をしてくれたり、私のサッカーや三つ年下の妹のバレーボールの応援にも来てくれました。高校3年生の時には、国体が開かれた島根県まで私の中学時代の恩師(父と年齢が一緒だったこともあり、父と友人のようにお付き合いしていただいていました)と二人で島根まで車を運転して応援に来てくれました。

そんな父でしたが、40代の時に「国鉄民営化」となり、「JR九州」で働くことになります。周りには、「リストラの嵐」が吹きました。父は、何とかリストラは免れたものの、長年勤めてきた「運転士」から「旅行業務」に転ずることになります。

しかし、これが後の父の人生を好転させるきっかけとなりました。「旅行業務」で知り合った「阿蘇ファームランド」の社長に気に入られ、50代で「阿蘇ファームランド」に営業部長としての職をいただきました。

最初は、順調に仕事をこなしていたようですが、何せ「肥後もっこす」の父です。社長と営業方針でぶつかり、ついに、独立を決意。「阿蘇観光ツーリスト」という会社を立ち上げました。

それから、20年以上の時が流れました。この「コロナ真っ只中」の時代でも何とか倒産することなく、事業を継続しています。「20年存続する会社は5%」と言われる時代を生き抜いているバイタリティーは、本当に素晴らしいと思い、尊敬しています。

現在「56歳伸び盛り!」の私ですが、80歳を前にして現役バリバリで働く父をロールモデルとして、「人生100年時代」を生き抜いていきたいと思います。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日は、午後7時30分から、ロアッソ熊本鳥取SCの一戦が熊本市えがお健康スタジアムで行われます。熊本シティーFM791「ビクトリーラジオ」で生中継します。私も解説者として出演しますので、ぜひお聴きください。全国どこからでも、熊本シティーFM791のホームページ「サーマルラジオ」でお聴きいただけます。

では、皆さんも素敵な日曜日をお過ごしください。