YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

男子水球37年ぶり勝利! 志水選手は郷土の誇り!

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

東京五輪では、昨日も数多くの日本選手がメダルを獲得しました。ただ、オリンピックで輝くのは、メダルを獲得した選手だけではありません。そのスポーツに人生をかけ、情熱を燃やし続けた数多くのアスリートがいます。

そんな一人が、水球日本代表として、リオ五輪東京五輪と2大会連続出場を果たし、長年にわたり、チームの中心選手として活躍してきた志水祐介選手です。

志水選手は、熊本市の京陵中学校の出身です。京陵中学校は、私が体育教師として4年、教頭として3年、校長として2年、計9年間勤めた学校です。志水選手との出会いは、京陵中学校の教頭時代でした。

リオ五輪への出場が決まったということで、母校である京陵中学校にお招きし、ささやかながら全校生徒が参加しての「壮行会」を開かせていただき、生徒たちへの講演会も開いてもらいました。

志水選手は、京陵中学校を卒業後、水球の強豪である埼玉栄高校に進学。その後、筑波大学に進み、一時期は学校の保健体育教師として勤めたこともあります。しかし、「水球選手として、世界を目指す!」と決意。日本の実業団チームに所属しつつ、ヨーロッパの強豪プロチームにも所属。世界のトップレベルの中で戦ってきました。

彼の中学時代のお話を聞くと、学校ではサッカー部に所属していたそうです。しかし、けがでプレー出来ない時期に、友達に誘われていったプールでたまたま水球と出会い、その魅力に引き付けられていきます。そして、サッカーか水球か迷いながらも「水球の道で生きていく」ことを決断します。ちなみに中学時代は、生徒会長も務めていたそうです。

そんな彼と出会って、数か月が経った2016年4月。熊本は、あの「熊本地震」に襲われました。当時は、新潟県にある実業団チームに所属し、リオ五輪に向けてのトレーニングに励んでいた志水選手でしたが、地震発生から数日後、大量の「支援物資」を持って、避難所となっている京陵中学校を訪れてくれました。私は、避難所の運営をしていたのですが、その温かい心と行動力に感動しました。

そして、急遽、「サイン会」の開催を思いつき提案すると、快く引き受けてくれて、体育館の入り口にテーブルと椅子を設置して、臨時の「サイン会」を開催しました。多くの被災者の方がサインをもらい、握手をして、リオ五輪での応援を約束しました。

リオ五輪後にも京陵中学校を訪れてくれた彼は、五輪の参加選手のみに配布される「記念のマグカップ」と選手団として着用した「ポロシャツ」を寄贈してくれました。それらの品は、その時に一緒に撮影した記念写真とともに、今も京陵中学校の校長室に飾られています。

それから、5年の時を経て開かれた東京五輪への出場。肩に大けがをして、あきらめかけたこともあったようですが、不屈の精神と周りの人たちの支えで乗り越え、再び東京のプールで輝きました!

37年ぶりの勝利となった昨日の南アフリカ戦では、3ゴール!

この大会を最後に引退を表明している志水選手にとっては、「有終の美」を飾る舞台となりました。

今回の東京五輪では、京陵中学校時代の同級生の皆さんを中心に、

パブリックビューイングを開催して、みんなで志水選手を応援しよう!」

という計画も進んでいたのですが、コロナ感染の再拡大を受けて、その計画は残念ながら実現しませんでした。

しかし、志水選手の水球に取り組む姿勢、頑張り、功績が、多くの人たちに希望と勇気を与え、新たなつながりを作ってくれたことは間違いありません。

志水選手、37年ぶりの五輪での勝利あめでとう!

そして、長年の現役生活、本当にお疲れさまでした。

心からの拍手を送らせてください。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。今日の夜は、私の「イチオシ」男子サッカー日本代表が、スペインとの準決勝を戦います。テレビの前からの声援をお願いします!

素敵な一日をお過ごしください。