YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

宿命と運命 友人のご尊父の訃報に接して…(前編)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

昨日の夕方、退勤時間となった午後5時過ぎ、校長室の電話が鳴りました。教頭席からの内線電話です。

「校長先生、教育委員会のK課長のお父様がお亡くなりになられたそうです。ネットの庁内掲示板に掲載されていました。『近親者のみで執り行われます』とはなっているのですが、教育委員会では、課長以上の方が参列されることになっているみたいです。お通夜は、今日の6時からです。私もこれからいったん帰宅して着替えてから参列しようと思います。」

その知らせをくれた教頭先生は、教育委員会の指導主事を経て、本校に赴任しており、K課長は指導主事時代の上司です。

そして、私とK課長は、幼稚園時代からの幼なじみであり、友人です。

「そうなんですね。全く聞いていなかったので、驚きました。わかりました。私も今日のお通夜か明日の葬儀のどちらかに参列します。」

と応えて、受話器を置きました。

突然の訃報に驚き、これからお通夜に駆けつけようか、明日の葬儀に参列しようか、すぐには判断が出来ませんでした。時刻は5時を回っています。

ふーっと、一息ついたところで、校長室のロッカールームに喪服を一着かけていたことを思い出しました。

そこで、すぐに喪服に着替えて、お通夜の行われている葬儀場へと向かいました。

ちょうど、夕方の「帰宅ラッシュ」の時間帯と重なってしまい、道路は大渋滞。普段なら30分で着く道のりが1時間弱かかってしまい、到着したときには、お焼香が始まっていました。

急いでお焼香を済ませ着席すると、ほどなくお上人の読経が終わり、お説法が始まりました。

「故人は、昨日、85年の天寿を全うされ、ご浄土に旅立たれました。このお通夜で故人におかけする言葉は『さようなら』ではありません。『お先に行ってらっしゃいませ』が正しいのです。なぜなら、ここにいる我々全員に『寿命』があり、必ず故人がおられるお浄土へ旅立つ日が来るからです。これを『宿命』と言います。『宿命』と『運命』は違います。『運命』は、人生の中で自ら運ぶことが出来るものです。対して『宿命』は決められており、自ら変えることは出来ません。」

確かにその通りだと思いました。

このお説法を聞きながら、幼なじみのK課長と私の「運命」とも言えるここまでの人生を振り返っていました。

彼と初めて会ったのは、同じ幼稚園の「赤組(年中組)」でした。そして、彼のお家は2町内。私の家は3町内にありました。家が近かったこともあり、自然と仲良くなりました。

進学した小学校ももちろん、同じ小学校です。低学年の頃には、近所の公園でよく一緒に遊びました。

そして、小学校3年生となり、彼も私も同じサッカー部に入部します。

こう書くと、彼と私が同じような幼少期を送ったようにみえますが、その実は全く違い、私と彼は対照的でした。

彼は、幼稚園の頃から運動神経抜群。明るくユーモアにあふれ、いつも多くの友達の中心にいました。当時、大流行していたTV番組「ドリフターズの8時だよ!全員集合!」でのギャグをモノマネして、みんなを笑わせていました。

対して、その頃の私と言えば…体形は、肥満児。それを心配した母親が近所の「体操教室」に通わせるのですが、マット運動や鉄棒は大の苦手。すぐに「体操教室」もやめてしまいました。

小学校3年生となった私たちは、ともにサッカー部に入部しました。

しかし、サッカー部での扱いも対照的です。彼は、背番号10番を背負うエースストライカー。片や私は、監督から、

「お前は、背はでかいけど、肥ってとるけん走りきらんど(肥ってるから走れないだろ)。ゴールの前に立っとけ(立ってろ)!」

と言われてはじめることになったゴールキーパーです。

私のミスで失点するたびに、

「おい。おい。しっかりしてくれよー。」

と言われる日々でした。

そんな二人が「直接対決」するときが来ました。小学校の「児童会長選挙」です。

当時は、学年に4クラスがあり、各クラスから1人立候補者を出すルールになっていました。

当然、彼は圧倒的なクラスメートの指示を受けて、立候補しています。

片や私のクラスでは、なかなか立候補者が決まりません。そんな中で担任の先生が、

「選挙は、立会演説会でしゃべらなんけん、一番おしゃべりな南が立候補せなんた。」

と一言。この言葉で、私が渋々立候補することになりました。

結果は、当然、彼の圧勝です。

ここまでは、「陽」の彼に対して、「陰」の私という「運命」でした。その風向きが少し変わるのは、中学時代です。

中学に入学するとき、私たちが入学した中学校には、「陸上長距離の名将」と言われる先生がおられました。その先生は、運動神経に優れた新入生を次々と勧誘し、勧誘された生徒たちは、全国の舞台で大活躍していました。当然、彼はその勧誘を受けて、陸上部に入部しました。

これまた当然、私に勧誘の声がかかるはずもなく、私はサッカー部に入部しました。

当時私たちが通った中学校は1学年に13クラスあり、1学年の人数が500人を超えていました。そして、彼とは一度も同じクラスになることがなく、彼との接点はぐんと少なくなりました。

そんな中学時代に私は、サッカー部のキャプテンとなり、熊本県選抜、九州選抜に選出されるという「人生の急上昇カーブ」に乗ることが出来ました。

しかし、もし、彼が陸上部ではなく、サッカー部に入部していたら、少なくとも私がサッカー部のキャプテンになることはなかったと思います。

彼と私の人生の「運命」は、まだまだ続いていきますが、長くなってきたのでこの続きは、明日の「後編」でお話ししますね。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。今日は秋分の日。素敵な祝日の一日をお過ごしください。