YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

宿命と運命 友人のご尊父の訃報に接して…(後編)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。ともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

さて、昨日のブログでは「宿命と運命 友人のご尊父の訃報に接して…(前編)」として、友人のご尊父のお通夜に参列したこと、そのご法話で「宿命」と「運命」の違いという話を聞いたこと、そして、私と幼なじみである教育委員会K課長との幼稚園時代の出会いから中学時代までをお話ししました。

今日は、その続きです。

二人は、中学校を卒業して、それぞれ高校に進学しました。私が入学したのは済々黌高校、K課長が入学したのは第二高校でした。いずれも熊本県内有数の進学校であり、ライバル校です。

そこで、私は当然サッカー部に入部します。一応、中学時代に「九州選抜」に選出されていた私は、プロ野球でいうと「ドラフト1位」的な期待を受けて入部したのですが、2年生までは全くその期待に応えることが出来ず、「苦難の時期」を過ごしました。

一方のK課長。中学時代は陸上の長距離選手の道を歩んだ彼でしたが、高校では、再びサッカー部に入部しました。

そんな二人の「運命」が再び交わるのは、高校2年生頃の「夏のインタハイ熊本県大会」でした。

私が所属する済々黌高校サッカー部は、前年の「冬の全国高校サッカー選手権大会」に1・2年生だけのメンバーで出場しました。(私は「第2GK」としてベンチを温めていてピッチには立っていませんが…(笑))

そんなチームにとってこの大会は、「2期連続の全国大会出場」を目指す大事な大会であり、当然、済々黌高校は優勝候補の筆頭でした。

その大会の準々決勝で対戦したのが、第二高校でした。試合は、大方の予想に反して第二高校の勝利。

私は、小学校時代の「児童会役員選挙」に続いて、ここでも辛酸をなめることになりました。

その後、私は3年生になり、ようやく試合に出られるようになるとともに、チームのキャプテンとなりました。そのおかげで、「国体チーム」に選出していただき、島根県で行われた「くにびき国体」に出場することが出来ました。

第二高校からも一人の選手が「国体チーム」に選出されましたが、それは、彼ではありませんでした。

こうして高校生活を終えた私たちは、大学に進学します。

私は、県内の大学に。彼は、県外の大学に。

そして、私は引き続きサッカー部に入部しますが、彼は、大学ではバドミントン部に入部し、大学時代には二人の「運命」が交わることはありませんでした。

そして、彼と再会するのは、小学校の教員として採用され、サッカー部の顧問をしている時でした。彼も大学を卒業し、小学校の教員となりサッカー部の顧問をしていたのです。

そして、私は15年間、小学校の教員を経験したのち、中学校に移り、生徒指導主事(学校の生徒指導の責任者)になりました。

その時、私より数年早く中学校に移り、すでに中学校の生徒指導主事となって活躍していたのが彼でした。

その頃の私は、いわゆる「荒れた学校」の生徒指導主事として、再び「苦難の時期」を過ごしていました。

そんな中で、彼は生徒指導主事としての実績を評価され、熊本市教育委員会学校サポート係の指導主事となりました。そして、教育委員会内の様々なポストを歴任していきます。

同じ「生徒指導畑」にいたために、よく「懇親会」などで顔を合わせていました。そんな時に私が彼によく言っていたのが、

「俺は現場で頑張るから、お前はもっともっと偉くなってくれ!」

というセリフです。

そう。当時、大ヒットしていたテレビドラマ「踊る大捜査線!」で織田裕二演じる青島刑事が、柳葉敏郎演じる室井管理官に言っていたセリフのパクリです。(笑)

その言葉の通りに、どんどん偉くなっていった彼は、51歳のときに同級生の誰よりも先に熊本市内の中学校の校長となりました。

かくゆう私も、生徒指導主事時代は「生涯一教師」で終えるつもりでいたのですが、当時の校長先生からの強い勧めを受け、管理職試験を受験。彼の後を追うようにして、教頭を経験し、彼に1年遅れて中学校の校長となりました。

2年間中学校の校長を経験した彼は、その後、再び教育委員会に戻り、現在は「課長」として活躍しています。

一方の私は、これまた思いもしていなかった「高校への転勤」という辞令を受け、現在は高校の校長をしています。

60歳が定年退職の年だとすると、我々に残された時間はあと3年です。

この後、彼が教育委員会の中で「部長」、「次長」と階段をさらに上るのか。それとも、再び校長として現場に戻り、「校長会のリーダー」として活躍するのか。

私の方は、このあとどんな仕事をすることになるのか。

その「運命」は今は分かりません。

お通夜の最後は、遺族代表の挨拶です。マイクの前に立ったのは、長男である彼でした。

これまでのお父様の人生を振り返り、最後は「ありがとう」というお父様への感謝の言葉で締めくくりました。

私の父は存命であり、今年80歳を迎えますが、現役で仕事を続けており、まだまだ元気です。しかし、私にもいつか彼と同じようにマイクの前に立つ日がやって来ます。これは「宿命」です。(父より私が先に亡くなる可能性も0ではありませんが(笑))

「そんな時に思い残すことのないように、一日一日を大切に生きていこう。」

彼の挨拶を聞きながら、そう心に誓った私でした。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。週末前の金曜日。素敵な一日をお過ごしください。