どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。ととに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
先日、千原台高校の職員研修が行われました。講師として熊本市教育委員会・人権教育指導室の指導主事をお招きし、「校内におけるハラスメントについて」をテーマに開催しました。
60分間の研修でしたが、前半の30分間は、講師の指導主事から「ハラスメント」についての講話をしていただきました。
「ハラスメントは、数多くの分野で起きており、各県や自治体の教育委員会でも調査や研修が行われている。」
「ハラスメントも人権問題であり、解決していくためには『知的理解』をし、『人権感覚』を磨いていくことが大切である。」
「ハラスメントを起こさないために『リフレイミング』の技術を身に着けることは有効である。」
などのお話を聞き、大変勉強になりました。
後半の30分間は、職員を8つのグループに分けて、「学校で起こるハラスメント」というテーマでグループごとに話し合う「グループワーク」でした。
私も、グループの一員となり話し合いに参加しました。
進行役の職員から、
「どなたからでも結構です。これまで経験されたハラスメントがあるという方はお話ししていただけませんか。」
「ハラスメントねえ・・・」
6人いるグループの誰もが、すぐには思い当たらない様子です。
そこで、
「では、最初に私が話しますね。」
ということで、私から、昨日のブログでお話しした「ソジハラ」について話しました。
こういう時は、誰かがしゃべると次々に話が膨らむもので、次に中堅の女性職員から、
「私たちが初任者の頃は、『これも初任研!』とか言って、男の先生からカラオケやチークダンスを強要されるのが当たり前でした。今の時代では、考えられませんよねー。」
「うん。そうだよねー。」
と相槌を打ちながら、私の頭に一つの記憶が蘇りました。
それは、今から6年前、熊本地震が起きた年の4月。熊本地震の一週間くらい前の出来事です。
当時、私は教頭として、ある中学校に勤務していました。
その学校は、中学校としては比較的大きな学校だったこともあり、毎年2人の初任者の先生が赴任していました。
その年も男女一人ずつ、2人の先生が「初任者」として、その中学校に赴任しました。
コロナ前の時代ですので、毎年、転勤してきた先生方や初任者の先生方を歓迎する「歓迎会」と称する飲み会が開催されていました。
当時の飲み会は、まず、ホテルの一室を貸し切って「歓迎会」を催し、2次会では有志のメンバーでカラオケスナックに移動して大いに盛り上がるというのが、おきまりのスタイルでした。
そこで、初任者の2人の先生に、前年度の初任者であり、2年目に入る直近の先輩が2人がこう話したそうです。
「今週末の歓迎会では、たぶん2次会でいつものカラオケにスナックにみんなで行くことになると思うんだけど、2人はカラオケではどんな曲を歌うの?」
すると、はじめて受けた採用試験受験で見事合格し、大学を卒業してすぐに初任者として本校に赴任したM先生(22歳女性)は、
「私、カラオケって1回も歌ったことありません。そういうお店に行ったこともありません。」
と答えたというのです。
驚いた先輩教師2人は、
「えーっ!?そうなんだー。じゃあ、練習を兼ねて1回カラオケボックスに行こうよ。」
と誘い、カラオケボックスにM先生を連れて行って、練習してきたということでした。
教頭であり、いつも「宴会隊長」的な立場にいた私には、すぐにその報告が上がってきました。
自らの大学生活とM先生が過ごしてきた大学生活のあまりもの違いに驚愕し、
「そうなんだー。で、カラオケボックスはどうだった?」
と尋ねると、
「何曲か歌ってくれて、練習したので大丈夫だと思います。」
と先輩教師たち。
こうして、歓迎会の当日を迎えました。
ホテルの一室を貸し切っての1次会が終わり、いつものように2次会として予約してあるカラオケスナックへと流れました。
当時の中学校では、大変多くの先生たちが2次会にも参加してくれていて、2次会のスナックも貸し切り状態。30人ほどの職員が来ていました。
いつもだいたい最初に歌うのは私でした。私が何も言わなくても若手の幹事の先生が、私の十八番の曲を入れています。
その後、次々と職員がマイクを手にして熱唱し、2次会も大盛り上がりです。
私もかなりの酒量となり、ほろ酔いかげんになっていました。(もともと、お酒には強い体質で泥酔するということはまずありません)
そこで、ふと思い出してしまったのが、M先生がカラオケボックスで練習していたというエピソードでした。
「M先生、1曲歌ってよ。一人は嫌なら俺と一緒に歌おうか?」
と言うと、若手の先生が私の十八番のデュエットソングをいれました。離れた席に座った状態で一緒に1曲歌い、
「M先生上手だったよ。練習したかいがあったね。」
などと私は調子の良いことを言って、さらに飲み続けました。
それからしばらくして、ふと周りを見回すと、満席だったスナックががらんとしていて、半分くらいの人数になっています。
そこで、隣にいた先生に、
「あれ、みんな帰っちゃったの?」
と尋ねると・・・
「いいえ。M先生が辛そうな表情で店を出たので、若手はみんな心配して追いかけていきました。」
ガーン・・・
一気に酔いがさめて、私の頭に浮かんだのは、
「教頭、歓迎会の席で初任者にデュエットを強要!『パワハラ』『セクハラ』で懲戒免職」
という新聞記事の見出しと私の顔写真でした・・・
意気消沈していると若手の数人が店に戻ってきて、
「カラオケでみんなが盛り上がる雰囲気に慣れてなくて、辛くなったようです。今、女性職員が付き添って家に送り届けています。」
翌日、もちろん、
「昨日は、申し訳ありませんでした。カラオケいやだったよね。本当に申し訳ないです。」
と謝罪すると、笑顔で、
「私こそ、途中で帰ってしまって申し訳ありませんでした。」
といってくれたものの、それからしばらくは懺悔の気持ちと自己嫌悪が続きました。
そして、その1週間後に起こった熊本地震。
それから、夜も寝ずに避難所を運営する日々が続き、自己嫌悪にしたってる場合ではなくなりました。
また、M先生も積極的に避難所運営業務に携わってくて、ある時には、家から妹さんを連れてきて手伝ってくれたこともありました。
避難所を運営していると、様々な人たちが避難されているので、クレームを受けることもありますし、色々な臨機応変の対応が求められます。
M先生は、それらの経験を大きな糧とし、教師として3年間でものすごい成長をみせました。
3年目には、高校の教師をしている大学時代の同級生の男性と結婚。当時、校長になっていた私は、結婚式で新婦側の主賓の挨拶もさせていただきました。
M先生のお父様は熊本県内の高校の校長先生をされていたこともあり、お父様とは今もお付き合いさせていただいています。
M先生ご自身は、その後一児の母となり、今は育児休業中。
お父様のお話では今度の4月から復帰の予定ということで、また、教育現場で優秀な教師として実力を発揮してくれることだと思います。
この時の失敗は、何とか大事に至らずに済みましたが、もう同じ失敗は許されません。しっかりと肝に銘じて生活していこうと決意を新たにした「ハラスメント研修」でした。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
皆さんの日曜日が、素敵な日曜日になりますように。