どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
「ついに『強い日本』が帰ってきました!」
昨夜(2月6日)、小林陵侑選手が北京オリンピック・男子スキーノーマルヒルで日本に今大会初の金メダルをもたらした瞬間のTV実況です。
日本のスキージャンプ選手が、最初に「金字塔」を成し遂げたのは、今から50年前の1972年、札幌オリンピックでのことでした。
スキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)で、笠谷幸生が金メダル、金野昭次が銀メダル、青地清二が銅メダルを獲得し、日本が表彰台を独占。
彼らは「日の丸飛行隊」と呼ばれ、一夜にして日本のヒーローとなりました。
それは、ちょうど今から50年前の2月6日のことでした。
当時、7歳。小学1年生だった私も、彼らの姿に胸が躍りました。
熊本県に住んでいて、スキーとは縁遠い私でしたが、札幌オリンピックの記念切手が発売され、父親にねだってスキージャンプの絵柄の切手を購入してもらったことを思い出します。
次に、日本のスキージャンプ陣が輝いたのは、24年前、1998年の長野オリンピックでした。
「日の丸飛行隊」は再び輝きを取り戻し、「団体戦」で金メダルを獲得しました。
当時のエースジャンパーだった原田が137mの最長不倒でトップに立ち、最後のジャンパーは船木。
ジャンプ台にいる船木を見上げて、原田が、
「船木ー。」
と祈るような表情で見守っていたシーンが今も目に焼き付いています。
そして、昨日の北京オリンピックでの小林陵侑の「金メダル」獲得。
冒頭に紹介したアナウンサーの実況に、私も思わず大きく共感しました。
長野オリンピックで金メダルを獲得した原田は、今回の北京オリンピックでは日本選手団の「総監督」となり、長野オリンピックをはじめとする8回のオリンピックに出場した「スキー界のレジェンド」葛西紀明は、現在、小林陵侑が所属するチームの選手兼監督を務めていて小林から「師匠」と慕われています。
1本目で、スキージャンプでは不利な条件である「追い風」の中、104.5mという大ジャンプをみせ、2位以下に大差をつけてのトップに立ちました。
2本目になっても「追い風」の状況は変わらず、世界のトップジャンパーたちが軒並み力を発揮できない結果に終わっていきます。
1本目でトップに立った小林は、2本目では「ラストジャンパー」です。
「ここを超えるとトップ」という距離を示す緑色の蛍光色のラインが98m地点で光っています。
「いつも緊張はするけど、今回も結構緊張した。」
と本人も語る緊張感の中で、スタート!
力強い踏切りから、見事な空中姿勢で飛び続け、ラインを超えたところで着地!
テレマークもビタッと決まる「ビタ着」をみせるとともに、力強いガッツポーズ!
日本のスキージャンプの歴史に新しい1ページを刻みました。
私の中で、今一つ盛り上がりに欠けていた今回の北京オリンピックでしたが、昨夜の小林の金メダルで一気にワクワク感が高まってきました!
冬のアスリートの活躍に今後も注目していきたいと思います。
今日のブログで予定していた「楽しいひと時 サッカー指導者仲間たちとの久々の語らい(後編)」は、小林陵侑選手の金メダル獲得を受けて、後日書かせてもらうことにしました。
ご了承ください。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、皆さんにとって素敵な一日になりますように。