YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

小林陵侑 北京の夜に輝く「金」の翼! ジャンプで24年ぶりのV

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

「ついに『強い日本』が帰ってきました!」

昨夜(2月6日)、小林陵侑選手が北京オリンピック・男子スキーノーマルヒルで日本に今大会初の金メダルをもたらした瞬間のTV実況です。

日本のスキージャンプ選手が、最初に「金字塔」を成し遂げたのは、今から50年前の1972年、札幌オリンピックでのことでした。

スキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)で、笠谷幸生が金メダル、金野昭次が銀メダル、青地清二が銅メダルを獲得し、日本が表彰台を独占。

彼らは「日の丸飛行隊」と呼ばれ、一夜にして日本のヒーローとなりました。

それは、ちょうど今から50年前の2月6日のことでした。

当時、7歳。小学1年生だった私も、彼らの姿に胸が躍りました。

熊本県に住んでいて、スキーとは縁遠い私でしたが、札幌オリンピックの記念切手が発売され、父親にねだってスキージャンプの絵柄の切手を購入してもらったことを思い出します。

次に、日本のスキージャンプ陣が輝いたのは、24年前、1998年の長野オリンピックでした。

日の丸飛行隊」は再び輝きを取り戻し、「団体戦」で金メダルを獲得しました。

当時のエースジャンパーだった原田が137mの最長不倒でトップに立ち、最後のジャンパーは船木。

ジャンプ台にいる船木を見上げて、原田が、

「船木ー。」

と祈るような表情で見守っていたシーンが今も目に焼き付いています。

そして、昨日の北京オリンピックでの小林陵侑の「金メダル」獲得。

冒頭に紹介したアナウンサーの実況に、私も思わず大きく共感しました。

長野オリンピックで金メダルを獲得した原田は、今回の北京オリンピックでは日本選手団の「総監督」となり、長野オリンピックをはじめとする8回のオリンピックに出場した「スキー界のレジェンド」葛西紀明は、現在、小林陵侑が所属するチームの選手兼監督を務めていて小林から「師匠」と慕われています。

1本目で、スキージャンプでは不利な条件である「追い風」の中、104.5mという大ジャンプをみせ、2位以下に大差をつけてのトップに立ちました。

2本目になっても「追い風」の状況は変わらず、世界のトップジャンパーたちが軒並み力を発揮できない結果に終わっていきます。

1本目でトップに立った小林は、2本目では「ラストジャンパー」です。

「ここを超えるとトップ」という距離を示す緑色の蛍光色のラインが98m地点で光っています。

「いつも緊張はするけど、今回も結構緊張した。」

と本人も語る緊張感の中で、スタート!

力強い踏切りから、見事な空中姿勢で飛び続け、ラインを超えたところで着地!

テレマークもビタッと決まる「ビタ着」をみせるとともに、力強いガッツポーズ!

日本のスキージャンプの歴史に新しい1ページを刻みました。

私の中で、今一つ盛り上がりに欠けていた今回の北京オリンピックでしたが、昨夜の小林の金メダルで一気にワクワク感が高まってきました!

冬のアスリートの活躍に今後も注目していきたいと思います。

今日のブログで予定していた「楽しいひと時 サッカー指導者仲間たちとの久々の語らい(後編)」は、小林陵侑選手の金メダル獲得を受けて、後日書かせてもらうことにしました。

ご了承ください。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日一日が、皆さんにとって素敵な一日になりますように。