YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

熊本地震から6年 蘇るあの日の記憶…(その4)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

今日のブログのタイトルは「熊本地震から6年 蘇るあの時の記憶…(その4)」。

中一日あきましたが、(その3)に続いて、熊本地震の時の記憶を紐解いていきたいと思います。

(その1)から(その3)では、前震が起きた直後のことに始まり、本震の数時間後には約3000人の避難者が殺到し、その人たちに限られた食料を配布したところまでお話ししました。

食料の配布を終えて、ホッとしているところに起きた難題が「トイレ」でした。

食料の配布が終わり、ほっとしたのも束の間。「教頭先生、○○のトイレが詰まっています。」という声が殺到しました。

地震の影響で断水しており、屋上のタンクにたまっていた水もついについいたのです。

そこで、トイレを見に行くと、使用済みのトイレットペーパーが山盛り状態になっています。

トイレを流すための水が必要です。そこで、一考。

「トイレ用の水として使えるのは、プールの水しかない!」

と考えました。

早速、避難してきていた京陵中の卒業生(高校生や大学生)を集めて、

「トイレのつまりを解消するために、皆さんにお願いしたい仕事があります。

 まず、一つ目の仕事は各教室前に置いてある45リットル入りの大きなポリバケツをすべて回収し、本部テントに運んでください。

 次に掃除用の小さなバケツもなるべくたくさん集めてください。

 そして、小さなバケツを使って、プールに貯めてある水を汲み、本部テントまで運んで大きなバケツに貯めていきます。」

また、残った小さいバケツには、それに水をためて、各トイレの横の廊下に並べるように指示をしました。

そして、次のようなルールを設定しました。

① 「小」の際は、トイレットペパーは使わない。もし、使った時は便器には捨てずに、トイレに準備した「ゴミ箱」に入れる。

② 「大」の際には、トイレタンクにバケツの水を入れて流す

③ 空になったバケツを持って本部テントへ行き、本部テントのポリバケツから空バケツに水をくんで、トイレ横の廊下まで運んでおくこと。

これらのルールをハンドマイクを使って朝礼台から説明し、校内放送で流し、さらにトイレに張り紙をするとういう手段で徹底させることにしました。

このルールの徹底により、何とか断水中もトイレの衛生を保つことができました。

断水はこのあと約2週間にも及び、「水不足」が私たちの最大のストレスとなっていきます。

「トイレ問題」の解消に、もう一つ大きな役割を果たしたものがあります。

それは、「マンホールトイレ」です。

「マンホールトイレ」とは、下水道に続くマンホールの中に簡易テントと便器を収納しておき、この時のような非常時には、マンホールの上に便器と簡易テントを設置して「トイレ」として使用するものです。

この「マンホールトイレ」は、熊本地震の起こる数か月前に設置工事が終わったばかりでした。

まさか、こんなに早く実際に使用することになるとは思ってもいなかったのですが、これが設置されていたことは本当にラッキーでした。

こうして始まった避難所運営の仕事は、これから約50日に渡って続いていくことになります。

その50日間は、私のこれまでの人生でもっとも大きな「体験」を積む日々でした。

今の私があるのも、この時の「体験」のおかげとすら感じています。

50日の間には、様々なドラマがありました。

熊本地震を風化させない」という意味からもそのドラマは語り継いでいきたいと思っています。

ただ、その作業はこれからも長く続けていくべきものだとも考えています。

ということで、今年の[特集]は、ひとまず、この(その4)で閉じたいと思います。

また、来年のこの時期には「熊本地震の記憶をたどる」特集をお話しすることをお約束し、ひとまず締めさせてください。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。