どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
昨日、5月3日㈫の新聞各社のスポーツ欄で、サッカー元日本代表監督であるイビチャ・オシム氏の訃報が一斉に報じられました。
JリーグのJEFユナイテッド千葉で、そして、日本代表でオシムさんの指導を受け、元日本代表であり、ロアッソ熊本でもプレーした巻誠一郎さんは、オシムさんの逝去に際して、次のようにコメントしています。
「『目の前のことに対して全力で取り組みなさい。』という言葉が強く心に残っています。」
「みんながみんなうまいだけではなく、いろいろなスタイルがあっていい。それが積み重なりチームをつくる、と言われていた。自分の出来ることと出来ないことがはっきりしていた。プレースタイルやパーソナリティーを認めてくれたことが大きかった。」
「サッカー選手として大変な時は、どこかで手を抜いたり、諦めたりしてしまうもの。当たり前のことをやり続けることは大変で、オシムさんの言葉は奥が深かった。」
「サッカーのみならず、人生の師だった。」
「今やっていることもオシムさんの考えを変化させながらやっている。『目の前のことを全力で』というオシムさんの考えは今も通ずる。」(以上、5月3日付毎日新聞スポーツ欄より抜粋)
サッカー選手として技術的に優れているわけではないと言われた巻選手が、日本代表に選ばれ、ワールドカップに出場する選手に成長したこと。
そして、ロアッソ熊本の選手時代には熊本地震を経験し、チームメイトを引き連れて避難所を回り、被災者の皆さんを励まし続けた行動。
さらに、現役引退後も小学校や中学校から講演の依頼を受ければ最優先で引き受けてくれてたり、地元にクラブチームを設立して地元の子どもたちにサッカーを指導したりしてくれている現在の行動。
このような巻誠一郎という一人の「郷土の偉人」の誕生に大きく寄与していたのがオシムさんでした。
私自身は、オシムさんと直接お会いしたことはありません。
ただ、オシムさんとの距離をすごく近くに感じた思い出はいくつかあります。
それは、オシムさんがJEFユナイテッド千葉の監督を勤めていたころ、オシムさんのもとでヘッドコーチをしていた小倉勉さんが日本サッカー協会(以下JFA)のコーチをされていた時です。
千葉を離れた後JFA入りし、JFAの「ナショナルトレセンコーチ」として活動されていた小倉さんと初めてお会いしたのは、熊本県の大津町で「ナショナルテレセンU‐14」が開催されていた時でした。
「ナショナルトレセン」には、各地域から選抜された選手が参加するのですが、そこには各地域のコーチも一緒に参加することになっていて、私は「九州トレセン監督」として、この時は参加していました。
小倉さんとお会いして様々なサッカー観などをお話しする中で意気投合し、しばらくの間、親しくお付き合いをさせていただいていました。
小倉さんが監修された「イビチャ・オシムのトレーニング」というDVDを送っていただいたり、巻選手が日本代表に選出された時には、電話をかけてともに喜び合ったことなどを懐かしく思い出します。
オシムさんの日本サッカー界への功績は、巻選手のようなすばらしい「人づくり」をしてくれたことのほかにもう一つあります。
それは、「日本サッカーが進むべき方向性を示してくれた」という点です。
オシムさんが日本代表の監督に就任した時に掲げた目標は「日本代表のサッカーの『日本化』」でした。
つまり、日本人の短所と長所をしっかりと分析し、日本人らしい、日本人にしか出来ないサッカーを追求しようとしたのです。
そのフィロソフィー(哲学)は、代表チームだけではなく、日本のサッカー界全体に浸透していきました。
そして、サッカー界では「ジャパンズ・ウェイ」という言葉が定着し、その後の日本サッカーの進むべき方向を示す「羅針盤」となっています。
我々に多くの学びを与えてくれたオシムさんのご逝去を惜しむとともに、心より哀悼の意を示し、今日のブログを閉じます。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。