YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

「公共」という科目をご存知ですか?(その1)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

あなたは、「公共」という科目をご存知ですか?

おそらく、

「『公共』?そんな科目、聞いたことがないけど…」

という方がほとんどだと思います。

「公共」という科目は、令和4年度から完全実施となった新学習指導要領のもとで、今年度の1年生から「地理歴史・公民科」の「必履修科目」として全国の高校1年生が学習することになった科目なのです。

現行過程では「現代社会」、「倫理」、「政治経済」という科目で構成されていた「公民分野」が、新課程では「必履修科目」である「公共」と「選択科目」である「倫理」、「政治経済」に変更されたのです。

なので、現在高校2年生以上の年齢の方にとっては、

「習ったこともないし、聞いたこともないぞ。」

となって当然ということです。

今日のブログでは、この「公共」という科目についてお話ししますね。

千原台高校で使っている「公共」の教科書は、第一学習社が出版している「高等学校 公共」という教科書です。

この教科書の「目次」をみると、次のような構成となっています。

第1編 公共の扉

 第1章 公共的な空間をつくるわたしたち

 第2章 公共的な空間における人間としてのあり方、生き方

 第3章 公共的な空間における基本的原理

第2編 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち

 第1章 法的な主体となる私たち

 第2章 政治的な主体となる私たち

 第3章 経済的な主体となる私たち

第3編 持続可能な社会づくりの主体となる私たち

では、その中身についてお話ししていきますね。

まず、「第1編 公共の扉」の冒頭には次のような記述があります。

「『公共的な空間』とは、どのようなものだろうか。ここでいう『公共的な空間』とは、地理的な空間の広がりではない。ここでの『公共的な空間』は、①地域社会あるいは国家・社会などにおける人間と人間とのつながりやかかわり、②それによって形成される社会のしくみそのもの、という二つをあわせもったものである。

 これから学ぶ第1編では、まず、社会に参画する自立した主体とは、孤立して生きるのではなく、地域社会などのさまざまな集団の一員として生き、他者との協働により当事者として国家・社会などの『公共的な空間』をつくる存在であることを学ぼう。また、古今東西の先人の取り組み、知恵などをふまえ、社会に参画する際の選択・判断の手がかりとなる概念や理論、『公共的な空間』における基本的原理などを理解しよう。そして、第1編で身につけたことを、第2編、第3編の学習でも活用できるようにしよう。」(教科書p5より引用)

これを読むと「第1編 公共の扉」で学ぶ内容のベースとなる「公共的な空間」についてご理解いただけたと思います。

この第1編では「公共的な空間」を形成する「個人」のベースとなる見方、考え方を「先哲の教え」なども参考にしながら学んでいきます。

私の好きな言葉の一つに、アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡で用いた、

「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは『巨人の肩の上に乗っていた』からです。」(『』は筆者が挿入)

という言葉があります。

「第1編 公共の扉」で、「先哲の教え」を参考にしながら、様々な「問い」に対して「思考」していくことは、生徒たちにとって、まさに「巨人の肩の上に乗る」ことが出来る学びになるはずです。

では、実際に「公共」でどんなことを学んでいくのか?

それは、明日のブログ(その2)でお話ししていきます。ご期待ください。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。