どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
あなたは、「公共」という科目をご存知ですか?
おそらく、
「『公共』?そんな科目、聞いたことがないけど…」
という方がほとんどだと思います。
「公共」という科目は、令和4年度から完全実施となった新学習指導要領のもとで、今年度の1年生から「地理歴史・公民科」の「必履修科目」として全国の高校1年生が学習することになった科目なのです。
現行過程では「現代社会」、「倫理」、「政治経済」という科目で構成されていた「公民分野」が、新課程では「必履修科目」である「公共」と「選択科目」である「倫理」、「政治経済」に変更されたのです。
なので、現在高校2年生以上の年齢の方にとっては、
「習ったこともないし、聞いたこともないぞ。」
となって当然ということです。
今日のブログでは、この「公共」という科目についてお話ししますね。
千原台高校で使っている「公共」の教科書は、第一学習社が出版している「高等学校 公共」という教科書です。
この教科書の「目次」をみると、次のような構成となっています。
第1編 公共の扉
第1章 公共的な空間をつくるわたしたち
第2章 公共的な空間における人間としてのあり方、生き方
第3章 公共的な空間における基本的原理
第2編 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち
第1章 法的な主体となる私たち
第2章 政治的な主体となる私たち
第3章 経済的な主体となる私たち
第3編 持続可能な社会づくりの主体となる私たち
では、その中身についてお話ししていきますね。
まず、「第1編 公共の扉」の冒頭には次のような記述があります。
「『公共的な空間』とは、どのようなものだろうか。ここでいう『公共的な空間』とは、地理的な空間の広がりではない。ここでの『公共的な空間』は、①地域社会あるいは国家・社会などにおける人間と人間とのつながりやかかわり、②それによって形成される社会のしくみそのもの、という二つをあわせもったものである。
これから学ぶ第1編では、まず、社会に参画する自立した主体とは、孤立して生きるのではなく、地域社会などのさまざまな集団の一員として生き、他者との協働により当事者として国家・社会などの『公共的な空間』をつくる存在であることを学ぼう。また、古今東西の先人の取り組み、知恵などをふまえ、社会に参画する際の選択・判断の手がかりとなる概念や理論、『公共的な空間』における基本的原理などを理解しよう。そして、第1編で身につけたことを、第2編、第3編の学習でも活用できるようにしよう。」(教科書p5より引用)
これを読むと「第1編 公共の扉」で学ぶ内容のベースとなる「公共的な空間」についてご理解いただけたと思います。
この第1編では「公共的な空間」を形成する「個人」のベースとなる見方、考え方を「先哲の教え」なども参考にしながら学んでいきます。
私の好きな言葉の一つに、アイザック・ニュートンが1676年にロバート・フックに宛てた書簡で用いた、
「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは『巨人の肩の上に乗っていた』からです。」(『』は筆者が挿入)
という言葉があります。
「第1編 公共の扉」で、「先哲の教え」を参考にしながら、様々な「問い」に対して「思考」していくことは、生徒たちにとって、まさに「巨人の肩の上に乗る」ことが出来る学びになるはずです。
では、実際に「公共」でどんなことを学んでいくのか?
それは、明日のブログ(その2)でお話ししていきます。ご期待ください。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。