YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

「公共」という科目をご存知ですか?(その2)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

今日のブログのタイトルは、「公共」という科目をご存知ですか?(その2)です。

昨日のブログ(その1)では、「高校の『地理歴史・公民科』の中に『公共』という科目が新設されたこと」、「新学習指導要領の完全実施により今年の1年生から『公共』を学び始めていること」、「『公共』の教科書の目次について」、「『公共的な空間』とは何か?」などのお話をしました。

今日のブログでは、「公共」という科目の内容についてお話ししていきますね。

まずは、千原台高校で使用している教科書「高等学校 公共(第一学習社)」の目次をもう一度示します。

第1編 公共の扉

 第1章 公共的な空間をつくるわたしたち

 第2章 公共的な空間における人間としてのあり方、生き方

 第3章 公共的な空間における基本的原理

第2編 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち

 第1章 法的な主体となる私たち

 第2章 政治的な主体となる私たち

 第3章 経済的な主体となる私たち

第3編 持続可能な社会づくりの主体となる私たち

となっています。

「第1編 公共の扉」の「第1章 公共的な空間をつくるわたしたち」の最初のテーマは「公共的な空間と人間とのかかわり」となっています。

その中の最初のサブテーマは「社会に生きる私たち」となっており、「青年期とは、人生の中でどのような意味を持つのだろうか?」、「青年期の心理にはどのような特徴があるのだろうか?」という問いについて考える内容です。

ここでは、「先哲の教え」として「フロイト精神分析学の見地」や「マズローの欲求5段階構造」、「エリクソンのライフサイクル論」などが示されています。

ここでの内容は既存の教科でいうと「保健」の分野で学習していた内容に近いかなという感想を持ちました。

次のサブテーマ「個人の尊厳と自主・自立」では「社会的存在としての人間とは、どのような存在だろうか。」、「自律的な意思とはどのようなものだろうか。」という問いが建てられています。

ここでは、「違いを多様性(ダイバーシティ)として捉え、社会的存在としてお互いに認め合うことが大切」ということが述べられ、「ジェンダーによる意識」、「LGBTと呼ばれる性的指向性自認の少数者(マイノリティ)の存在」などに目を向けることの重要性も述べられます。

また、ドイツの哲学者カント(1724~1804)の考えた「自律的自由」という考えが「先哲の教え」として紹介されています。

「哲学対話をしてみよう」という「トピック」も示されていて、生徒たちが哲学に目を向けるきっかけにしてくれると嬉しいと感じた内容でした。

続いてのサブテーマは「多様性と共通性」、その次は「キャリア形成と自己実現」といういわゆる「人としての生き方」を形成していく基礎となるようなテーマが次々と設定され、その中でユダヤ系ドイツ人物理学者・アインシュタイン(1879~1955)の「私に特別な才能はありません。非常に強い好奇心を持っているだけです。」という言葉や、アメリカの発明家・エジソン(1847~1931)の「大学とは、学習の場である。ビジネスも学習の場である。人生そのものが学習の場である。」という言葉などが示されています。

そして、さらに次のテーマは「社会に参画する自立した主体として」となり、「伝統や文化とのかかわり」というサブテーマの中で、「日本の伝統や文化」に触れ、柳田国男民俗学者)の「歴史の表舞台に登場しない無名の人々(常民)によって継承されてきた生活文化こそが日本社会の基礎をなす伝統文化であり、これを手掛かりに日本文化の本質が見いだされる」という考えを「先哲の教え」として示しています。

そして、この章の結びとして、「日本における外来文化の受容」というタイトルで「日本人と宗教」の話題に触れ、つづく「宗教とのかかわり」というタイトルのもとで「キリスト教イスラム教、仏教」という「3大世界宗教」について触れています。

ここまでが「第1章 公共的な空間をつくる私たち」です。

今紹介した内容は、290ページある教科書の23ページまでです。

これだけでもかなりのボリュームのある内容ですよね。

高校1年生にとっては、かなり難しい内容も含まれますが、「人としての基礎・基本」を築いていくためにはとても有用な内容だと感じました。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。