YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

ファミリー全員集合! 両親の「傘寿」を祝う会

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

さて、今日は家族の話をしたいと思います。

と言うのは、昨夜、かなり久しぶりに家族が全員集まる機会を持ったからです。

その理由は、私の両親の「傘寿のお祝い」。

私の両親は、ともに1942年(昭和17年)生まれ。今年の誕生日で80歳となります。

60歳で「還暦」、70歳で「古稀」を祝い、おかげ様で健康な体で、ともに80歳の「傘寿」を迎えてくれました。

父は、小さな旅行代理店を営んでいて、今でも現役で働いています。

20歳で「国鉄」に就職し、「運転士」として働いていましたが、父にとっての最初の転機となったのは、昭和62年の「国鉄民営化」でした。

これにより、国鉄職員に「リストラの嵐」が吹き荒れます。

父は、「リストラ」は免れたものの、長年勤めてきた「運転畑」から「旅行業務」へ異動となります。

その時に知り合いとなった「阿蘇ファームランド」さんにお声掛けをいただき、長年勤めてきた「国鉄(JR)」を退職し、「営業部長」として「阿蘇ファームランド」に就職をします。

当時、父はすでに50代。今、50代を迎えている私には、そのことは、父にとってかなりの「大きな決断」だったことだと感じられます。

数年後、さらに、父は「大きな決断」をします。

それは、「独立」です。

当時、父の部下として働いてくれていた事務員さんを引き連れて「独立」。「阿蘇観光ツーリスト」を起業しました。

その時の年齢は、55歳。それ以来、80歳になる現在まで何とか「倒産」することなく、事業を続けています。

この2年間は「コロナ禍」で大打撃を受けていますが、それでも、小学校の見学旅行のバス手配、中学校の部活動の合宿の手配などの仕事をいただき、何とか仕事を続けています。

間もなく60歳の区切りを迎える私にとって、父の人生は一つの「ロールモデル」となるように思います。

これからも、おそらく「生涯現役」を目指すであろう父を見習って生きていきたいと思っています。

母の年齢も父と同じ80歳です。

母は、私と3歳下の妹の2人を産み、妹が小学生になるころまでは「専業主婦」をしていましたが、その後「パートタイム」で、かつて勤めていた建設会社の事務員として「仕事復帰」。40代後半まで勤めました。

私が25歳の時に、私の長男が産まれ、その頃に母も「退職」。

私の長男、長女の子育てを全面的に支援してくれました。

そして、今も「プロの専業主婦」として、現役バリバリ。

現在は、私たち夫婦と両親、女子大生の三女の5人暮らしをしているのですが、妻は小学校の教師としてフルタイムで働いているために、母が月曜から金曜までの夕飯を作っています。

そして、その夕飯のあまりを、翌朝、私は弁当箱につめて、「お弁当」として職場に持参しています。

「プロの専業主婦」として、バリバリ働く母に感謝、感謝です。

昨日の会に参加してくれたその他の家族は・・・

まず、長男夫婦と間もなく1歳を迎える孫娘。現在、31歳の長男は、熊本市内でサラリーマンをしています。

お嫁さんは、現在は「育児休暇中」ですが、4月には職場復帰の予定です。職業は、県立学校の先生。私と同業者です。

次に、関東在住ですが、現在「年末年始の帰省中」の長女と4歳の孫娘。

二人のことは、先日のブログでお話ししましたので、詳しくはそちらをお読みいただけると嬉しいです。

あとは、現在、県外の大学に在学している次女。教育学部に在籍し、教師を目指しています。

今年、成人式を迎えるために、この時期に帰省。

彼女の帰省を待って、「傘寿のお祝い」を計画しました。

そして、最後が今でも一緒に暮らしている女子大生の三女。「保育士」を目指して勉強中です。

「傘寿のお祝い会」では、4歳の孫から「記念品贈呈」。

その後に、これも関東に在住している姪(妹の娘)ファミリーとビデオ通話。お祝いのメッセージをもらいました。(妹にも依頼しましたが「顔出し」をさけて、文字メッセージが送られてきました。)

というわけで、多くのファミリーの参加を得て、無事に「傘寿のお祝い」を終えることが出来ました。

会を終えて帰宅後に、妻から

「次のお祝いは、あなたの『還暦』だね。」

と言われ、「自分もそんな年か・・・」と「プチショック」(笑)。

これからも、家族みんなが健康で過ごしていけるといいなあと感じた一日でした。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日一日が、皆さんにとって素敵な一日になりますように。