どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
「ブログの(その3)以降、なるべく早くお願いします!とても気になります。興味深く読ませていただいています。」
昨日、読者の方からいただいたメッセージです。
ということで、今日ブログでは「熊本地震から6年 蘇るあの日の記憶…(その3)」をお話ししますね。
2016年4月16日、午前1時25分。
当時、熊本市立京陵中学校の教頭をしていた私は、避難所の責任者として学校に滞在し、校長室のソファーで仮眠をとっているときに震度6弱の熊本地震・本震に襲われたというところまで、(その2)でお話ししていました。
大きな揺れでソファーから転げ落ちた私。その直後に、安全のために点灯しておいた運動場の照明灯がバチンと音を立てて一斉に消えました。地震のための停電です。
真っ暗闇に包まれた中で、まず、私の頭に浮かんだのは、
「ここから出ないとまずいぞ…」
ということでした。
足元にあった室内用のシューズを履き、小さなショルダーバッグを肩にかけて、校長室を出ました。廊下に出ると、廊下のキャビネットやその上にあった花瓶も倒れ、花瓶は割れて、花が無残に飛び散っています。それらをかき分けて玄関まで行き外へ出ました。
運動場に出ると、
「教頭先生、どうすればいいですか?」
という声が武道場の方から聞こえます。避難所の運営者として武道場にいた市役所職員の方の声です。2人の女性職員が滞在されています。
「皆さんにケガはないですか?」
「はい。大丈夫です。」
「では、まずは、全員、運動場の真ん中に集まりしょう。私もそちらに行きます!」
と叫んで、武道場に駆けつけました。
避難者の方は全員無事です。
しかし、そのほとんどが高齢者の方。武道場は体育館の2階にあり、運動場に移動するには階段を降りないといけません。
「階段を降りるのが難しい方は、私が背負って降ります。」
と言って、高齢者の方を背負って階段を数回往復しました。
こうして、全員が運動場の真ん中に集まりました。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。」
「たいへん大きな揺れでしたが、ご覧通り、学校の校舎は倒れていません。学校の校舎には『耐震工事』が施されているので、一番安全です。
ただ、さらに大きな揺れが来る可能性もありますので、しばらくは運動場で過ごしましょう。
ブルーシートを敷きますので、そこに腰を下ろしてください。」
と話して、昼間に一度片付けたブルーシートを再び運動場の真ん中に敷きました。
そうしているうちに、バチンという音ととに運動場の照明灯がつきました。
どうやら停電が解消されたようです。
人というのは、暗闇の中にわずかな明るさが戻るだけで、ずいぶん心が落ち着くことを実感しました。
この灯りがついたことがまるで合図だったように、学校周辺にお住いの方たちが次々に学校に避難して来られました。
その中には、京陵中学校の在校生や卒業生の姿もみられます。
私は彼らに、
「運動場の真ん中、ブルーシートの横にテントを移動して!」
「朝礼台をテントの横に運んで!」
と次々に指示を出し、運動場の真ん中に臨時の「避難所本部」を作りました。
これがそれから数時間後の写真です。
避難者の数はみるみるうちに増え続け、数時間後には約3000人の避難者が押し寄せました。
本震が起きた時には、学校職員は私だけ。市役所の女性職員の方が2人だったのですが、校長先生をはじめ、前夜も避難所に泊まってくれていた職員などが数名駆けつけてくれました。
まだこの時には、これから学校を避難所として運営する日々が50日以上も続くなどとは知る由もなく…
ただ、目の前の課題をどうクリアしていくかだけを考えていました。
最初の課題となったのは「食料をどうするか?」でした。
幸いなことに、学校のお隣にあるコンビニエンスストアが店内にあったすべての食料を提供してくれました。
しかし、避難者の数は約3000人。全員に行き渡るという保証はありません。
そこで、思いついたのが、空港での「優先搭乗」のやり方です。
80歳以上の高齢者、3歳以下の子どもさんのおられる家族に優先して配り、その後、一般の方々に配るという方法で配布することにしました。
しかし、それを行うにもスタッフの人数が足りません。
そこで、私はハンドマイクを肩にかけて朝礼台に昇り、
「皆さんにお願いがあります。これからこの学校を避難所として運営していく上での人手が不足しています。
医療・介護関係にお勤めの方、役所・学校等にお勤めの方でスタッフとして働いていただける方がおられたら、本部テントまでお越し願いたいと思います。
ご協力、お願いします!」
この呼びかけに応じて、30名ほどの方が集まってくれました。
そこで、市役所職員の方からの提案で事務室から白いテープを持ってきて、そこに赤いマジックで十字を書いて、そのテープを胸や腕に貼ることで「臨時スタッフ」の目印としました。
「臨時スタッフ」となっていただいた皆さんに食料の「優先配布」の方法を説明し、準備を整えて、私は再び朝礼台に立ちました。
「今から食料の配布をします。
ただ、全員の方に行き渡るかどうかはわかりません。
ですから、必要な方に確実にお渡しできる方法をとります。
80歳以上の高齢者および3歳以下のお子様と一緒に避難されているご家族の方は、私の右手の方に、そうではないご家族の方は私の左手の方にお並びください。
ご理解とご協力をお願いいたします。」
こうして「食料の配布」を始めたところ、避難者の皆さんは冷静にご協力してくださり、一つのトラブルもなく、スムーズに食料の配布を終えることが出来ました。
しかし、ホッとしたのも束の間。次の課題がやって来ます…
というわけで、この続きは、また(その4)以降にお話ししますね。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。