どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
昨日(4月16日)は、熊本地震の本震から8年目の日でした。
ということで、今日のブログでは私が経験した熊本地震を振返ります。よろしくお付き合いください。
熊本地震の前震が起きたのは、4月14日の午後9時26分でした。この日は木曜日で、翌日の金曜日に「授業参観」が予定されていたので、初任者の先生の模擬授業をみたりして、一日が終わったと感じていた日の出来事です。
当時、私は熊本市立京陵中学校の教頭をしていました。
まだ、学校に残っていた数人の先生方に、
「先に帰るよ。」
と告げて帰宅している時、前震が熊本を襲います。
すぐさま学校に引き返し、残っていた先生方を運動場に集め、
「皆さん、まずは自宅の方と連絡をとってください。私は自宅に連絡したところ、幸いにして、自宅も家族も無事でしたので、このまま学校に残ります。
おそらく、このあと避難者の方が来られると思いますので、可能な先生は避難者のお世話を手伝ってもらえるとありがたいです。」
自宅に連絡をいれてもらったうえで、私を含めて4人の教職員で「避難所の運営」がスタートしました。その後、深夜の12時近くに2名の市役所の職員の方も合流されて、この日は約100人の避難者の方に、「武道場」、「本校舎1階の教室」、「運動場のブルーシートの上」の3ヶ所に分かれて過ごしてもらいました。
なぜ、「運動場のブルーシートの上」で過ごした人がいたのか?
それは、前震のあとも絶え間なく余震が続いており、一番揺れを感じずに恐怖心がないのは周りに建物がない「運動場の真ん中」だったからです。
「武道場」には、畳を敷き詰めて仮眠をとれる状態にしましたが、体育館の2階にあったので、余震が来るたびに揺れを体感します。(ちなみに、体育館は前震の時にすべての照明灯が落下しており、この時は避難所として使えませんでした。)
「本校舎1階の教室」は体育館の2階にある「武道場」に比べると揺れを感じにくいのですが、机と椅子しかありません。仮眠をとるにしても堅い床に寝るか、机に伏して寝るかということになります。
この3ヶ所のどこで過ごすかを避難者の方に選んでもらいました。
この時には、まだ「避難所運営マニュアル」などといったものはなくて、すべて私がその場で考えて、それを実行しました。
こうして一夜が明け、翌日の金曜日は当然のごとく、学校は「臨時休校」になりました。
自宅に被害があまり出ていなかった職員だけが出勤し、校内の危険個所の確認、出来る範囲での瓦礫の撤去などを行いました。
「これで何とか月曜日からは可能な範囲で生徒たちが登校できるかもしれないな。」という思いで、4月15日㈮の夜を迎えました。
その日も30人くらいの地域の方々が、
「自宅で過ごすのは怖いので…。」
ということで、武道場で一夜を過ごされることになっていました。
校長先生をはじめとする先生方には、
「私が代表で残りますので、皆さんはご自宅にお帰りください。」
と話し、一人で校長室に泊まることにしました。
前夜は、突然の避難所運営で一睡もしていなかったこともあり、夜の10時過ぎには校長室のソファーに横になり、仮眠をとっていたのですが…。
この続きは、次の(後編)でお話ししますね。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように