どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
昨夜(4月17日)午後11時14分、私の携帯電話が鳴り響きました。
「ウィーン、ウィーン、ウィーン!
すでに就寝していた私は、この音で跳び起きました。
しばらくすると横揺れが始まり、10秒程度で収まったのですが…。
背筋が寒くなる思いがしました。
昨夜起きた豊後水道付近を震源とする地震です。愛媛県、高知県の一部では「震度6弱」を記録したと報じられています。
この地震の被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。
今日のタイトルは、
熊本地震から8年 あの日、あの時を忘れない…(後編)
昨日のブログの続きです。よろしくお付き合いください。
昨日のブログでは、2016年4月14日㈭の夜に「前震」に襲われ、その日の夜は100名ほどの避難者の方と一緒に学校で一夜を過ごしたこと。
翌日、学校内の危険個所の点検や出来る範囲での瓦礫の撤去を終えて、
「月曜日からは学校を再開できそうだ。」
という思いで、校長室のソファーで仮眠を取っていたところまでお話ししました。
この日の夜も、30名ほどの方が武道場に避難をしておられました。
そして、日付が変わった2016年4月16日㈯の午前1時25分。あの「本震」が私たちを襲いました。
すさまじい縦揺れと横揺れに襲われて、仮眠をしていたソファーから転げ落ちた私の頭に最初に浮かんだのは、
「ヤバい。校舎に閉じ込められないうちに外に出なくちゃ。」
ということでした。
揺れが収まるのを待って、すぐに足元に置いていた室内履きのシューズを履き運動場に出ました。
避難者のために照明灯をつけたままにしてあった運動場は、本震の影響で停電して真っ暗です。
ありとあらゆるものが倒れ、入学式で使った生花が飾られていた玄関の花瓶も割れています。
それらをかきわけて運動場に出ると、武道場に避難していた方と一緒に泊まられていた市役所職員の方が、
「教頭先生!」
と叫ばれている声が聞こえました。
「どうすればいいですか?」
「けがされた方はいませんか?」
「はい。今のところ大丈夫です。」
「では、全員、運動場の真ん中に集まりましょう! 私もそちらに一度行きます!」
武道場は体育館の2階にあります。
武道場に駆けつけると、恐怖で動けないお年寄りの方が数名おられました。
「私がおぶりますので、まずは、運動場まで避難しましょう。」
それから、数回、武道場と運動場をお年寄りの方をおんぶして往復しました。
運動場の真ん中に集まると、
「みなさん、怖かったですね。
でも、大丈夫ですよ。学校の建物には『耐震補強』という工事がしてあって、倒れる心配はありません。それに、ここは運動場の真ん中ですから、何かが落ちてくることもありませんからね。
ただ、このあとも余震が来ると思いますので、なるべく立ち歩かずに座っておきましょうね。」
そんな話をしている時に、パッと照明灯がつきました。一時的な停電が回復したのです。
明るさが戻るだけで恐怖心が薄れるのを感じました。
明るさが戻るとともに、付近の住民の皆さんが次々に学校に避難して来られます。
次々と避難者の方々が増えて、最高時の人数は3,000人になりました。
ここから、約50日間の「避難所運営」の仕事が始まります。
この被災の体験は、一生忘れることはないと思います。
被災したこと自体はとても不幸な出来事でしたが、この経験から学んだこともたくさんあります。
最も大きなことは「人の温かさ」のありがたみを知ったことです。
この地震の時には、小学生だった千原台高校の生徒たちもそれは同じだと思います。
そのニュースを聞いた生徒たちは、台湾の高校生と交流をしたeスポーツ部の生徒たちが中心となって校内で募金活動を展開し、集まったお金は姉妹校提携を結んだ光復高校に送ることにしています。
熊本地震での経験を風化させずに、機会を見つけてこれからも語り継いでいきたいと思います。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。