YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

サウジに0-1敗戦 今の日本代表に必要なものは…

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

昨日のブログで「ソジハラって知ってますか?(前編)」をお話しし、

「続きは明日お話ししますね。」

とお約束していたのですが、急遽予定を変更し、今日はサッカー日本代表アジア最終予選についてお話しします。

「ソジハラって知ってますか?(後編)」は、明日以降にお話しさせていただきます。こちらを楽しみにしていただいた読書の方々、ごめんなさい。

とうことで、日本時間の10月8日、深夜2時キックオフで行われたW杯アジア最終予選第3節、サウジアラビアのホームで行われたサウジアラビア(以下サウジ)対日本戦をライブ配信で観戦しました。

昨夜は9時半にベッドに就き、深夜2時に起床。4時までサッカー観戦をして、4時から5時半まで仮眠をし、かろうじて合計6時間の睡眠時間を確保して、今、ブログを書いています。

しかし、この私の涙ぐましい「時間調整」のかいもなく、日本代表は0-1で敗戦。

まだ、10試合にうちの3試合を消化したところとは言え、早くも「崖っぷち」に立たされる結果となりました。

まずは、日本の先発です。

GK 権田

DF 酒井、吉田、冨安、長友

MF 遠藤、柴崎、浅野、鎌田、南野

FW 大迫

前節、中国戦で好プレーをみせてくれた伊東は累積警告で出場停止。久保、堂安はケガで離脱しています。

スタジアムは6万人の大観衆。しかもサウジサポーターのほぼ全員が男性という「中東でのアウェイゲーム」ならではの雰囲気の中で、試合は始まりました。

先にチャンスを作ったのはサウジ。12分に得たFKから放ったクロスを長身のDFがヘディングで合わせてシュート。放たれたボールはGK権田の胸を直撃し、何とか失点を防ぎました。

お互いに球際で厳しく競り合い、インテシティーの高いゲームが続きます。

そんな29分、日本に決定機が訪れます。日本の厳しいプレスによりこぼれたボールを拾ったMF鎌田が、縦に鋭いスルーパスを送ります。それを受けたFW大迫は、前向きにボールをコントロールし、ゴールを目指します。そして、GKと1対1に!

しかし、大迫の放ったシュートは相手GKの左手で弾かれて、先制点とはなりませんでした。

こうして、お互いに決定機をゴールに結びつけることは出来ず、前半は0-0で終わりました。

前半を振り返って、感じたのは、

「大迫に決めてほしかった・・・(大迫の決定機はあとひとつありました。結果的にはオフサイドでしたが…)」

「もう少し遠藤、柴崎のボランチを使ってゲームを作りたいけど・・・

 柴崎のボールロストの多さが気になるなあ・・・」

という2点でした。

後半に入ると、サウジがさらに攻勢をかけてきます。

そんな中で先に動いたのは、日本ベンチでした。

後半15分、MF南野に代えて古橋、MF浅野に代えて原口を投入します。

この交代は、効果を発揮し、両サイドのMFがフレッシュな選手になったことにより、長友、酒井の両サイドバックが攻撃に参加する場面が増えて、いくつかのチャンスを作ることが出来ました。しかし、それもゴールには結びつきません。

すると、サウジベンチもそれに対応しようと、後半19分に2枚替え。試合の流れを引き戻しにかかります。

この交代で、試合の流れは再びサウジに傾きます。

日本ベンチとしては、次の一手を打たねばなりません。

私はサッカーの試合を観るとき、必ず自分が監督になった気持ちで観るようにしています。

その時、私の頭に浮かんでいた選手交代は、

大迫→三好

柴崎→田中碧

でした。

三好をサイドのMFに入れて、古橋を1トップに置きます。

大迫、柴崎のプレーを非難するわけではないですが、

「今日は、『大迫、柴崎の日』ではない」

と感じていました。

とツイートでもつぶやいた矢先の後半26分。相手のプレスを受けた柴崎が吉田にバックパス。しかし、このボールがゴール方向へ流れ、それを相手FWがかっさらい、そのままゴール方向へドリブル。冷静にGK権田の股下を抜くシュートを放ち、ゴール。先制点を奪われてしまいました。

そして、失点直後の後半28分に行われた交代は、

柴崎→守田

鎌田→オナイウ

でした。

さらに、アディショナルタイムに入った後半46分には、長友→中山の交代も行い、サウジゴールに迫るもゴールは奪えず、0-1で前半戦の大一番での痛い痛い黒星となってしまいました。

試合後のインタビューに応えた森保監督、吉田主将、遠藤選手、長友選手はいずれも敗戦のショックの中でも、必死で前を向こうという姿勢で応えてくれました。

そんな日本代表にとって、今、必要なことは何か?

それは、何と言っても、

「全員が覚悟を持って、前を向くこと」

これに尽きます。

チーム内のことは、チーム内の人間にしかわかりません。

そして、レベルは違えども「社会人サッカー」の監督を経験し、「監督にしかわからない辛さ」を経験した私は、基本的に「采配批判はしない」と決めていますし、森保監督を最後まで信じます。

ただ、今の状況を打開するためには、

「累積警告の出場があける伊東、セルティックで大活躍をみせている古橋、大きなポテンシャルを秘めている三好など『旬な選手』の活躍が、日本代表には必要です!」

という意見を述べておきたいと思います。

とりあえず、次のホームでのオーストラリア戦は「絶対に負けられい戦い」どころか「勝利しかありえない戦い」となります。

われわれサポーターも全力で声援を送りましょう!

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。週末前の金曜日。今日一日が、皆さんにとって、素敵な一日になりますように。

 

 

「ソジハラ」って知っていますか?(前編)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

ここ数日、「校長の仕事」シリーズをお話しして来ました。これは、「校長の仕事」とは言えないかもしれませんが、この5~6年よく依頼を受ける「お仕事」があります。

それは、学校で行われる「職員研修」の「講師依頼」です。

昨日の午後も、近隣の中学校から「講師依頼」をいただき行ってきました。

研修のテーマは「LGBTs人権課題についての学校での取り組み」です。

LGBTs人権課題」との出会いににつては、以前のブログで詳しくお話ししましたが、それをお読みでない方のために簡単にお話しします。

私が「LGBT」という言葉を初めて知ったのは、今から6年前、熊本市教育委員会が主催した「教頭人権研修」でした。

その研修の冒頭での

「『LGBT』の意味が分かる人は挙手してください。」

との問いに対して、挙手した者は、約130人の参加者のうち10人程度でした。

私も、

LGBT?何のことだ?」

という状態でした。

研修を終えて、その意味をようやく理解し、

「各学校でも子どもたちに正しい知識を伝え、差別をなくす活動をしていきましょう。」

という呼びかけを受け、学校へ帰って、早速相談したのが当時の学校のALT(外国人英語教師)でした。

彼女はレズビアンであり、啓発活動等にもよく参加していることを知っていたからです。

「一緒にLGBTに関することを生徒に伝えていく活動をしませんか?」

と誘うと、

「絶対にやりたいです!やらせてください!」

と大賛成してくれて、二人で活動を始めました。

彼女が持っていたプレゼンを日本語に訳して、LGBTについてのプレゼンを作ることからスタートしました。

そして、初めに行ったのは、当時勤務していた学校の先生たちとの職員研修です。

まず、私が、「LGBTの基礎知識」についてプレゼンしました。

次に彼女が、「性的違和感を感じたときの思い」「その後の暮らし」「今、困っていること」などを話してくれました。(事前の打ち合わせで、彼女の方から「この学校の先生たちのことを信頼しているから、皆さんにカミングアウトしたい」と言ってくれていました。)

この研修には、熊本市教育委員会の指導課と人権教育指導室の指導主事にも参加してもらいました。なぜなら、このような取り組みを学校で行うのは、熊本市では初めてのことだったからです。

この職員研修を11月に行い、いよいよ次は、生徒たちに伝える予定でした。

「冬休み明けの3学期には、生徒たちへの『講話』を計画しましょう。」

ということで、彼女はクリスマス休暇を利用して、母国へ一時帰国をしていきます。

「じゃあ、また、3学期に会おうね!」

「See you!」

笑顔で別れました。

そして、年が明けた1月4日。

携帯電話がなりました。当時の校長先生からです。正月早々に、校長から教頭への電話。悪い予感を抱きつつ・・・

「あけましておめでとうございます。」

と電話をとると

「教頭先生、正月早々ごめんな。良い知らせじゃないもんな。」

「また、生徒指導ですか?」

「いや。違う。」

「何ですか?」

「実は、ALTの彼女が亡くなったという訃報が入ってきたもんで・・・」

「えっ?それは何かの間違いでしょ?あんなに笑顔で帰国していったのに・・・」

「うーん。それが、間違いないらしく・・・

どうも、自ら命を絶ったらしい・・・」

私は、絶句しました。

私や周りの先生方はもちろんのこと、学校中が悲しみに包まれました。

そして、もう一つショックを受けたのは、私たちの作ったプレゼンの一枚に

LGBT当事者の人たちの『自死念慮(自殺を思い立つ)』の回数は、他の人たちの約6倍」

ということが書かれていたことです。

この時から

LGBT当事者の人たちの命を守るために、自分は正しい知識を一人でも多くの人に伝えていきたい!」

という使命を感じ、活動を続けています。

その後の5年間で「LGBT」という言葉の認知度は急速に上がっています。それだけに、逆に正しい知識が伝わっていなかったり、もっと詳しく知りたいというニーズが高まったりしていて、今年になってからは、月に平均1~2回のペースで「講師依頼」をお受けしています。

タイトルに掲げた「ソジハラ」についてお話しする前に、かなりの字数になってしましいました。

「ソジハラ」とは、「ソジハラスメント」の略であり、「ソジ(SOGI)」とは、「Sexual Orientation(性的指向)」と「Gender Identity(性自認)」の頭文字をとった言葉であるということだけをお伝えし、その中身は、明日お話ししますね。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

皆さんにとって、今日一日が、素敵な一日になりますように。

 

校長ってどんな仕事してるの? 「校長の一日」を振り返る(第5部)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

さて、昨日のブログでは「校長ってどんな仕事してるの?『校長の一日』を振り返る(第4部)」ということで、一昨日の私の一日についてお話ししました。

朝の「ルーティン」を行い、その後「人事評価制度・能力評価・期末面談」を行ったこと。そして、「お客様への対応」をして、「オンライン高校説明会」の準備に入る。この時点で午後の4時30分過ぎだったというところまでお話ししましたので、今日はその続きです。

この日の夕方に予定されていた「校長の仕事」の一つが、ロータリークラブの主催で行われる「オンライン高校説明会」への参加、配信でした。

この「オンライン高校説明会」は、昨年度から始まったもので「ウィズコロナの時代」となり、いろいろな高校の「学校説明会(オープンキャンパス)」が中止になったり、各中学校で行われる「高校説明会」が、「授業時数の確保のための行事の精選」という理由から中止されたりしていた状況の中で、ロータリークラブの皆さんが「高校受験を控えた中学3年生の不安を少しでも解消してあげたい」という目的で始められた催しです。

県内各地の多くの高校が参加していて、千原台高校にもお誘いがありましたので、迷わず参加を決めました。

各高校に与えられた説明時間は15分間。午後の6時に配信が始まり、午後8時まで続きます。

この日の千原台高校の配信予定時刻は、午後6時20分から6時35分までの15分間です。

そのためのテスト配信が、午後5時10分からとなっていました。

配信の方法は、事前に「動画」を撮ってそれを流したり、「画面共有」でスライドを流しながら、それに説明を加えていくなどいろいろとありますが、千原台高校は、クロームブックを設置して私と教務主任が本校の説明をしている様子を「ZOOM」でライブ配信する方法を選択しています。

そこで、まず、ロータリークラブが開催している「ZOOM」に参加を試みます。「ZOOM」については、日頃から「オンライン会議」などでよく使用しているのですが、「ロータリークラブのホームページを経由して入るように」という指示がされていて、なかなかうまくいきません。

教務主任の先生が、ロータリークラブの事務局の方に携帯電話で問い合わせて、試行錯誤しながらようやく無事にロータリークラブが開催している「ZOOM」に入ることが出来ました。

そして、テスト配信をしてみたのですが、あちらでそれをご覧になっていた事務局の方から、

「そちらの電波が弱いようです。画像があらいし、音声も時々途切れてしまいます。」

というご指摘が・・・

その日は、1階にある校長室から配信していて、Wi-Fiがひかれているのは2階にある教室、職員室までなので、それを拾っている1階の校長室は確かに電波が弱いのです。

そこで、選択肢は二つ。一つは、すべての機材を2階に移してやり直す。もう一つは、私のスマホを使って、テザリングしてつなぎ直す。

私たちは、後者を選択しました。「ZOOM」から退出し、回線を切って、スマホテザリングでインターネットにつないで、もう一度「ZOOM」に入り直しました。

こうして、何とか「テスト配信」をクリアし、6時20分からの本番を迎えました。

「10分前にZOOMに入ってください。」

という指示通りにZOOMに入ると、玉名工業高校さんの説明が行われていました。玉名工業さんは、スライドを「画面共有」で流しながらの説明でした。

現在は、少子化の影響もあり、多くの公立高校が「定員割れ」に苦しんでいるのですが、特に熊本市外の公立高校の現状は厳しいものがあり、玉名工業さんんもそんな高校の一つです。

「一人でも多くの中学3年生に本校を受験してほしい。」

という切実な願いが伝わってきます。

そのような状況は、千原台高校も同様です。本番が近づくにつれて、緊張感が高まります。

事務局の方の

「次は、千原台高校です。お願いします。」

という紹介で本番が始まりました。

「皆さん、こんばんは。千原台高校の校長の南弘一です。今から千原台高校の紹介をさせていただきます。まずは、7月に本校で行った『学校説明会』の映像をみてください。」

ということで、1分半に編集した「学校説明会」の映像をBGMにのせてみてもらうところから説明を始めていきました。

その後、教務主任の先生が「学校の概要」「入試について」などを説明し、再び、私と交代。千原台高校の素晴らしさを伝えるエピソードと私のYouTubeチャンネルの紹介をして、無事に15分間の「説明」を終えました。

これをみてくれた中学3年生が一人でも多く、千原台高校を受験してくれることを祈っています。

この日の仕事は、これで終わりではありません。

次は、午後7時から行われる。「校区自治会協議会」への参加が待っています。

急いで機材を片付け、校長室の戸締りをして、「校区自治会協議会」の会場であるコミュニティーセンターへと向かいました。

そして、それに参加して、会議が終了したのは午後8時前。

ようやく「校長の長い一日」が終わり、自宅への帰途につきました。

今日もまた、「校長の一日」が始まります。多くのお仕事をさせていただくことに感謝しながら、明るく、元気に、喜んで働きます!

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。週の中日の水曜日。

皆さんにとって素敵な一日になりますように

 

校長ってどんな仕事してるの? 「校長の一日」を振り返る(第4部)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

昨日は、「校長としての仕事」がぎっしりと詰まったなかなかハードな一日でした。

ということで、今日は「校長ってどんな仕事してるの?『校長の一日』を振り返る」シリーズ第4弾として、私の昨日一日についてお話しします。

まず、いつもの朝の「ルーティーン」として、「アイビーリーメソッドでの仕事の書き出し」「朝掃除」「文書決済」「授業巡回」などを行いました。

そして、次に行ったのが、「人事評価制度・能力評価・期末面談」です。

数年前から我々教師の世界にも「人事評価制度」が導入されています。

「人事評価制度」として、「業績評価」と「能力評価」という2種類の評価を行うことになっており、「能力評価」の方の「基準日」が10月1日です。

ですから、この10月1日を目途にして、校長は全教職員と「期末面談」を行うことになっています。

本校の教職員(事務室職員・会計年度職員を除く)は、45名です。ですから、私は45名の先生方と「期末面談」をすることになります。そこで、先週から1日に7~8名の先生方との面談を行ってきました。

そして、昨日最後に3名の先生方と「期末面談」を行い、45名との面談が終了しました。

人の業績や能力を「評価」するというのはなかなか難しく、ましてや職場の同僚を「評価」するというこの制度は、校長にとってはかなり難易度の高い仕事です。

先生方には、「学習指導」「生徒指導」「校務分掌」「職員との連携」「行動倫理」などの分野別に「自己評価」をしてもらい、それをシートに記入してもらって提出いただきます。そのシートをもとに教頭が「1次評価者」として、「所見」と「評定」を記入し、そのシートが「2次評価者」である私のもとに送られます。そこに、私が「所見」と「評定」を記入した後に「期末面談」を行うことになっています。

面談では、まず、

「学習指導、生徒指導、校務分掌などについてのこの一年間の感想を聞かせてください。」

とお願いし、先生方自身に振り返ってもらいます。

その後、私から話をするわけですが、その内容は「評価」というよりも、「フィードバック」と捉えてお話ししています。

それも、どちらかと言えば「ポジティブフィードバック」を行う場とするように心がけています。

面談で行う「フィードバック」には、「適時性」がありません。つまり、この1年間という長い期間の「フィードバック」ですので、「たった今起こったこと」ではないわけです。この状況は、「ネガティブフィードバック」には適していません。

もちろん校長の役割として、先生方に「ネガティブフィードバック」をすることも時には必要です。しかし、それを有効に行うには「適時性」タイムリーさが必要だと思っています。

ですから、「期末面談」での私からの「フィードバック」」は、「ポジティブフィードバック」。つまり、これまでの先生方の働きに感謝の言葉を述べることが中心になります。(もちろん、状況によっては「次の課題の提示」は行いますが…)

こうして、45名の教職員との「期末面談」が終わりました。今日は、その資料を教育員会に届けることになっています。これも「持参達」といって校長自らが持参し、教育委員会の担当職員に手渡しで提出するルールになっています。

昨日は、このあとにもいろいろとありました。

まず、「まん延防止特別措置」があけてようやく再開することが出来た「日本語教室」の再開一日目でした。そこで、久しぶりに講師の清原憲一さんが来られました。

以前のブログでもお話ししたように、清原さんは、地元の放送局でアナウンサーとして長年活躍され、現在もフリーアナウンサー、大学の非常勤講師などとしてご活躍の方です。

たまたま私の高校のサッカー部の大先輩であり、高校時代から可愛がっていただいていたというご縁があり、現在、ボランティアで「日本語教室」の講師をしていただいています。

7月にお会いして以来3か月ぶりにお会いしましたので、

「お久しぶりです。『まん延防止』の期間もようやく終わりましたので、再びよろしくお願いします。」

とご挨拶したところ、

「いえいえ。毎日ブログを拝読していますから。こちらはちっとも『お久しぶり』ではありませんよ。」

と言っていただきました。清原さん流のユーモアですが、私としてはとても嬉しかったです。

しばらく校長室で「楽しい雑談」をさせていただいたあと、お隣の部屋で「日本語教室」が始まりました。

このあと、校長室に数名の先生方に来ていただいてのミーテイングを行いました。

そして、次に準備に入ったのがロータリークラブの皆さんが主催される「オンライン高校説明会」への参加に備えての準備です。

この時点で時刻は、午後4時30分を回っていました。

ということで、かなりの字数となりましたので、この続きは明日のブログでお話ししますね。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日一日が、皆さんにとって素敵な一日になりますように。

 

ロアッソ5連勝! ただ、今後への課題も…

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

昨日行われたJ3リーグ第21節、ロアッソ熊本藤枝MYFCの一戦は、ロアッソ熊本が3-2で勝利し、5連勝を飾るとともに勝ち点を39とし、首位の座を守りました!

90分のうちの80分間は、

「内容、結果とも今シーズンのベストゲーム!」

と言えるすばらしいパフォーマンンスでした。

その後、立て続けに2失点して、

「何とか逃げ切る薄氷の勝利」

となりました。

今日は、この試合を振り返り、今のロアッソ熊本の「強さの要因」と「今後の課題」についてお話しします。

まずは、ロアッソ熊本の先発メンバーです。

GK 内山

DF 黒木、菅田、酒井

MF 上村、河原、竹本

FW 杉山、高橋、伊東、ターレ

前節からの入れ替えは、GKが佐藤から内山に変わっています。佐藤選手はベンチにも入っていなかったので、ケガによる入れ替えだと思われます。内山選手は、後半戦の初戦、長野戦に続き、今シーズン2試合目の出場です。

対する藤枝MYFCの注目選手は、MF鈴木惇アビスパ福岡のユースからトップチームに昇格し、J1での出場経験も豊富なベテランです。彼は、ジュニアユース(中学生)時代からナショナルトレセンや世代の代表に選ばれる「エリート選手」でしたので、私も中学生の頃の彼のプレーをよく観ていました。このチームでも「中盤として欠かせない選手」として活躍しています。

試合は、立ち上がりからロアッソのペースで進みました。ボールを保持しながら攻め続けた前半37分、相手陣内の右サイドでFKを獲得します。このFKはドリブルで抜け出したFW高橋を相手選手が後ろから倒す反則で得たものです。

FKを蹴るのは、FW杉山。左足から放たれたインスイングのボールは、相手ゴール方向へ弧を描きながら飛んでいきます。そこへ飛び込んだのはFW高橋でした。しかし、惜しくも高橋の頭には合わず、その頭上を越えたボールは相手選手の足に当たり、そのままゴールへ。相手のオウンゴールロアッソが先制しました。

前半はこのまま終わります。前半のシュート数は、ロアッソの6本に対して藤枝は0。全く危なげのない内容でロアッソが支配した前半でした。

後半に入ると、藤枝も反撃に出ます。後半4分には、鋭いシュートを放ちますが、ここは、ロアッソGK内山が見事なセーブをみせて防ぎました。

後半に入り、一進一退の展開となっていた後半15分、ロアッソの追加点が産まれます。ペナルティーエリア内で縦パスを受けたMF竹本。そのまま前を向き、右足でシュート。本人にとってプロ入り初となる記念すべきゴールを奪いました。

続く後半35分には、相手DFがGKへパスしたボールを途中から交代出場していたMF坂本がかすめ取り、そのままゴールへ向かってドリブル。相手GKの頭上を抜く見事なループシュートを決めて、3点目を奪います。坂本選手にとっても、これがプロ入り初ゴールです。

ここまでの試合は、間違いなく、

「内容、結果ともに今シーズンのベストゲーム!」

でした。

しかし、このあと試合は思わぬ方向に展開します。

3点目を奪った直後のプレー。自陣でパスをつないでいたところに相手にプレスをかけられてボールを失うと、そのまま右サイドをドリブルされて、逆サイドにクロスを送られ、ボレーシュートで1点目の失点。

その3分後には、自陣右サイドで縦パスを通され、今度はグランダーのクロス。これを再び1タッチでシュートされて、2点目を失います。

その後も藤枝の猛攻を受けますが、何とかしのぎ切り、3-2の1点差で薄氷の勝利を手にしました。

さて、この試合を振り返って感じるのは次の2つです。

① 攻撃、守備ともにチームの完成度が上がっている。

② 相手にペースを握られ始めるとまだ危うい部分もある。

何度も言いますが、試合開始から1点目を奪われるまでの80分間は、ベストなゲームでした。ここまでをみて感じたのが①です。

しかし、1失点。その3分後には、次の失点をしてしまいます。ここで感じたのが②です。1失点してからは、攻撃から守備への切り替えが明らかに遅くなっていました。これは、大きな課題です。

ただ、このあと、チームの成長を感じる場面を目にしました。

それは、キャプテンの河原を中心に自陣に11人の選手が集まり、何やら言葉を交わしていたのです。

キャプテンの河原が、

「失点は自分のせい。切り替えていこう!」

と全員を鼓舞したということでした。

相手は、2点を奪い、「早く次のプレーを再開しろ!」と息巻いています。こういう雰囲気の中で、この河原の行動がチームに「絶妙の間」を与えてくれました。

ここに、課題とともに「大人のチームへの成長」を感じました。

残りは、9試合。大混戦のJ3リーグですので、まだまだ油断は出来ません。

続くアウェイでの2試合も連勝し、ホームに帰ってきてほしいと思います。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。週の初めの月曜日。皆さんにとって素敵な一日になりますように

 

教員採用試験・結果発表! 35年前、遠き日の思い出(後編)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

昨日のブログでは「教員採用試験・結果発表! 35年前、遠き日の思い出(前編)」というタイトルで、熊本県熊本市教員採用試験の選考結果が発表されたこと。私のもとで「2次試験対策」に臨んでいた13人のうちの10人が合格したこと。そして、35年前の私自身の「教員採用試験」の思い出をお話ししました。

試験科目の中の「ピアノ」が苦手で、「バイエル教本・下巻」の「66番」と「99番」の2曲に「ヤマ」を張って練習していたところ、課題曲の中に「99番」があったのですが、「66番」に比べると「99番」は難しく、

「すみません。練習してきた『66番』を弾きます!」

と言って、強引に得意曲を弾くという、先輩から伝授された作戦でいくのか?

自信のない「99番」にチャレンジするか?

が試案のしどころ。

というところまでお話ししました。

今日は、その後の展開をお話しします。

そのためには、まず、大学時代の親友で、その日もともに行動していた人物をご紹介しないといけません。

彼は、平木元宏くん。同じ「保健体育科」の4年生で、男子バレーボール部の主将。私はサッカー部の主将でした。彼は、1年の浪人生活を経て大学に入学していたのですが、同じ体育会系部活動に臨む仲間としてウマが合い、年末には大学近くのスーパーで数の子を売るバイトを一緒にしたり、街中や大学周辺で一緒に酒を飲んでは、当時、一人暮らしだった彼のアパートに泊めてもらったりしていました。

当然、同じように「先輩のアドバイス」を受けて、一緒に「66番」と「99番」を練習し、その腕前も似たようなものでした。

課題曲の貼りだされた掲示板を前に、二人で顔を見合わせました。

「どうする?」

とその瞬間、平木くんが、

「俺に良いアイデアがある!」

「あそこに、数学科のSさんがおらす(いるんだよ)。彼女は、バレー部の後輩のお姉さんで、自宅は確かここ(試験会場)からすぐ近くだん(なんだよ)。今から、試験開始まで2時間くらいあるけん(あるから)、お願いして、Sさんの家のピアノで練習させてもらうばい(もらおう)!」

「そっがええばい(それがいい)!」

厚顔無恥な体育会系コンビは、Sさんのもとへ走り懇願しました。

Sさんは、多少戸惑った様子でしたが、

「いいですよ。」

と言って、私たちを家まで案内し、ピアノを貸してくれました。

(日頃から勉強も出来ていて、成績優秀。ピアノも上手なSさんにとっては、「バイエル教本・下巻」の曲など練習するまでもない課題だったことも幸いでした。)

二人で交互に「99番」を弾き続けること約1時間。何とか最後まで弾けそうな自信をつけて、いざ、試験会場へ!

無事に「99番」を弾き終えて、私たちにとっての「教員採用試験」は終わりました。

結果は、何とか二人そろって「合格」!

(もちろん、ピアノを貸してくれたSさんも余裕で「合格」されました。)

こうして、私と平木くんの教員生活は、「小学校」の教師とスタートしました。

その後の私の人生については、これまでも何度もお話ししていますが、今日はじめてこのブログを読まれる方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単にお話しすると・・・

まず、「小学校教師」を15年。その後、中学校に移り「保健体育教師」「サッカー部監督」としての生活が12年。中学校で「教頭」「校長」となり、今は「高校の校長」となって2年目です。

一方、平木くんも私と同じように「小学校教師」としてスタートしますが、私より一足早く「中学校」に移ります。その後「熱血バレーボール監督」として大活躍!

大津中学校の女子バレーボール監督時代には、何度も全国大会出場を果たし、東京オリンピック日本代表のエースアタッカーとして活躍した古賀紗理那選手を輩出しました。

そんな私たちでしたが、運と偶然に恵まれ、平成26年の2月には「文部科学省優秀教員表彰」を受けることになり、一緒に東京で行われた授賞式に参加しました。

私は、その翌年に「教頭」となり、彼もその後、中学校で「教頭」「校長」の道を歩んでいます。

ともにスタートした私たちの35年間の教員生活。彼は「バレーボール」、私は「サッカー」の「熱血体育教師」と過ごし、今に至ります。

「教員」として生活する日数も徐々に少なくなってきますが、その最後の日に、

「やり切った!」

と思えるように一日一日を過ごしていきたいと思います。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今日は、日曜日。午後7時から熊本のえがお健康スタジアムで、ロアッソ熊本藤枝MYFCの試合が行われます。今日は、ラジオのライブ中継がないので、解説の仕事はお休みです。観客席から参戦して来ます!

皆さんの日曜日も、素敵な一日になりますように。

 

教員採用試験・結果発表! 35年前、遠き日の思い出(前編)

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

昨日、熊本県教育委員会熊本市教育委員会より「令和3年度教員採用試験」の選考結果が発表されました。

この試験に向けて、13人の若者が私のもとで「2次試験対策」に臨んでいました。

彼らの結果は、13人のうち10人の合格となりました。

全員の合格を祈っていましたので、3人の若者が厳しい結果となり残念です。

3人は、今回の悔しさを糧に捲土重来を期し、来年こそは悲願を果たすべく、1年後にさらに成長して私のもとを訪ねてくれることを信じたいと思います。

ただ、平均倍率2倍以上の2次試験の中でのこの結果は、確率論的にはかなりの好結果と言えます。

合格した10人の皆さん、おめでとう!

というわけで、今日は35年前にさかのぼり、私自身の「採用試験の思い出」をお話しします。

35年前、私は熊本県教育委員会の「小学校」を受けました。

一番なりたかったのは、「中学体育」だったのですが、「小学校」にしました。

理由は二つあります。

一つは、「中学体育」の実技試験にある「高鉄棒での蹴上がり」が出来なかったこと。

もう一つは、「小学校」の方が倍率が低くて合格しやすいと考えたからです。

いかにも、当時の私らしい安易な選択です。

しかも、その当時は、まさに「バブル時代の絶頂期」。有名企業は大卒新人を奪い合い、内定を出した学生が他の会社を受けないように、内定者は全員そろって「温泉旅行」に招待され、他社の採用試験が終わるまで「隔離」されるというような、今ではとても考えられない「超売り手市場」の就職戦線でした。

当然、「教員採用試験」の倍率も低く、大卒で受験する「保健体育科」の仲間、約20人ほどの中で「不合格」となるのは、1~2人という時代でした。

そんな、ゆるーい時代だったにもかかわらず、採用試験当日の朝はかなり緊張していました。

前日の夜はよく眠れず、家を出る前には、仏壇に手を合わせたあとに「栄養ドリンク」を一気に飲み干して、試験会場に向かいました。

私は、元来、楽天的な性格で、それまでの人生でも「高校入試」「大学入試」「運転免許試験」などを経験していましたが、これほど緊張したことはありませんでした。

今思えば、その理由は、私の中に「大きな不安」があったからだと思います。

その「不安」とは、「小学校」の採用試験に含まれる「ピアノ」でした。

小学校では、当時も今も、基本的には、担任がすべての教科の授業を受け持ちます。

なので、2次試験の試験科目は「集団面接」、「体育実技(マット運動・水泳)」、「ピアノ」となっていました。

元来、おしゃべりで人前で話すのが大好きな私は「集団面接」は「得意種目」です。

「体育実技」も曲がりなりにも「保健体育科」を卒業するわけで、小学校レベルであれば、何の問題もありません。(高鉄棒は苦手でしたが、マット運動は得意でした。)

問題は「ピアノ」です。

「ピアノ」の試験では、「バイエル教本・下巻」から、いくつかの「曲番号」が指定されて、その中の1曲を弾くことになっています。ちなみに、「バイエル教本・下巻」には「44番」から「106番」までの曲があり、その中からいくつかの「曲番号」が指定されます。

幼少期から音楽に親しんだ経験が浅く、もちろん音楽の授業以外でピアノを習った経験などなかった私にとっては、「超高ハードル」の課題です。

「何事も、まずは、情報収集!」ということで、前年度までに「小学校」で合格していた「保健体育科」の先輩たちに、どうやって「ピアノ」の試験を乗り切ったかを尋ねてみました。

すると、こういう答えが返ってきました。

「『ヤマ』張るしかなかばい(ないぞ)!」

「『44番』から『106番』まで、全部練習するとか無理だけん(だから)、2つか3つ練習しとけ!」

「それで、もし、当日その番号が出てなかったら、『すみません。○○番を練習してきましたので、○○番を弾きます!』と言って、それば弾くとよか(弾けばいいよ)!」

「その作戦で成功した先輩も何人もおるけん(いるから)、心配すんな!」

「ちなみに、オススメの一番は『66番』。次にオススメは『99番』ばい(だよ)!」

何と素晴らしいアドバイス

というわけで、私は(正確には、私と一緒に「保健体育科」から「小学校」を受ける音楽が苦手な「愉快な仲間たち」は)、とにかく「66番」と「99番」だけを徹底的に練習しました。

すると、やはり「66番」の難易度はさほど高くなく、何とか曲の最後まで行きつくレベルになりました。「99番」は、「66番」よりやや難易度が高く、最後までたどり着けるのが、2回に1回というレベルです。

そして、運命の「曲番発表」!

選ばれた5つの「曲番」の中に・・・

「66番」は・・・

ありません。

「99番」は・・・

ありました!

しかし、ここは「試案のしどころ」です。

「66番」なら、自信を持って弾けるのですが、「99番」は2回に1回のレベルです。

これまでも一緒にピアノを練習し、当日も一緒に行動していた「保健体育科」の同級生と思わず顔を見合わせました。

「どうする?」

「すみません!」と謝って、「66番」を弾くか?

不安を抱えつつも、課題曲になっている「99番」を弾くか?

まさに、究極の選択を迫られました・・・

 

ということで、かなりの字数になってきましたので、この続きは、明日の「後編」でお話ししますね。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。今日一日が皆さんにとって、素敵な一日になりますように。