YouTuber校長日記

YouTuber校長として、サッカー解説者として日々の生活の中で感じたことや本を読んで学んだことなどを書きます!

お墓参りに行ってきました! 亡き祖母の思い出

どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。

さて、我が千原台高校も、昨日から3日間の「お盆のための閉庁日」に入りました。

そこで、昨日は家族全員で「お墓参り」に行ってきました。回ったお墓は2か所。妻の実家のお墓と私の父方の実家のお墓です。場所は、いずれも八代にあります。

私が住む熊本市から八代までは、車で約1時間強です。ただ、昨日は九州地方に「線状降水帯」が現れ、天候は一日中大雨。八代を流れる球磨川の水位もずいぶん上がっていて、

「危ないかもしれないから、お墓参りはやめておこう」

という意見も家族内にありましたが、幸い午後からは雨脚も弱まり、球磨川の水位も落ち着いたということで決行しました。

父の実家のお墓には、父の両親、つまり私の祖父と祖母が眠っています。祖父との思い出は、以前のブログでお話ししましたので、今日は祖母との思い出をお話ししたいと思います。

祖母は、一昨年亡くなりました。「享年105歳」という大往生でした。幸いにもコロナ感染が広がる前でしたので、親族みんなで送ることが出来ました。

105歳という長寿を全うしたことからもわかる通り、とにかく、いつも元気いっぱいで明るい人でした。

以前のブログで、私が小学生の頃は、祖父と父と一緒に「カブトムシ・クワガタ捕り」に行っていたことを書きましたが、その当時、祖母が熱中していたのは「ゲートボール」。毎朝、出かけて行って地区の「中心選手」として活躍していたようです。

その後、祖父が亡くなり、しばらくは「一人暮らし」でしたが、近くに父の妹や弟が住んでおり相変わらず元気に過ごしていました。しかし、さすがに90歳くらいからは、「一人暮らし」も難しくなり、熊本市内の老人ホームに生活の場を移します。

老人ホームでは、「書道の時間」があったり、「計算ドリル」の時間があったりします。そこでも、祖母は常に「成績優秀」。毎年「敬老の日」には、必ず祖母のもとを訪ねるようにしていたのですが、祖母の「習字の作品」が「優秀作品」として掲示されていることもありました。

もう一つ、祖母の趣味があります。それは「オセロゲーム」。私が訪ねていくと必ず

「コウちゃん、オセロばしょうかい。(オセロをしよう)!」

と誘われ、一戦交えます。

年齢が90歳を過ぎていても、祖母の頭脳は衰えを知らず、私との「オセロの実力」は五分五分です。そんなわけで、私も一切手を抜くことなく一戦を交えます。そして、私が勝利すると、祖母は、

「コウちゃんな強かねー。もう一回しょう(もう一戦しよう)!」

と言って、祖母が勝つまで終われません。祖母の「オセロの実力」は同世代では断トツで、老人ホーム内では無敗を誇っていたようです。(笑)

そんな祖母が100歳を迎えた年には、親族が集まり「100歳お祝いパーティー」を開きました。父は7人兄弟の長男です。ですから、祖母には7人の息子・娘、13人の孫、曾孫が27人、さらに玄孫も数名誕生しており、全員が集まれば50名を超えるという大親族。祖母は、まさに私たちの「ゴッドマザー」なのです。

この日は、東京・大阪に住んでおり参加できない親族もいましたが、総勢30名ほどが出席してのパーティーとなりました。

さすがに、足は多少不自由になっていて、祖母は車いすに乗っての参加でしたが、食欲は依然として衰えず、出された食事は、

「おいしかねー」

と言いながら、笑顔で「完食」してくれました。

そこでは、私の父をはじめとする息子・娘や我々孫たちも「祖母との思い出」をスピーチしたのですが、父が幼少の頃には7人の子供を育てるために、リヤカーを引いて当時住んでいた益城町から熊本市内まで「行商」に出かけていたことなど、私の知らない祖母の一面を聞くことが出来ました。

大正時代に生まれ、昭和、平成、そして、令和と105年の人生を生き抜いた祖母のことを心から尊敬しています。

きっと、天国で老人ホーム時代のお仲間と今日もオセロで一戦を交えていることでしょう。

「ばあちゃん、たくさんの思い出をありがとう。」

私も祖母を見習って、これからも様々なことに挑戦し続け、「人生100年時代」を生き抜いていきたいと思います。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。素敵なお盆の一日をお過ごしください。