どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
今日のブログのタイトルは、「『おとなの教養 池上彰著(NHK出版新書)』に学ぶ!(第4部)」。
本書についてのブログの「最終回」となります!
本書では、池上さんが現代人が学ぶべき「現代版リベラルアーツ」と考える7科目について書かれています。
それは、
① 宗教
② 宇宙
③ 人類の旅路
④ 人間と病気
⑤ 経済学
⑥ 歴史
⑦ 日本と日本人
の7科目です。
(第1部)から(第3部)までのブログで「① 宗教」~「⑥ 経済学」についてお話ししました。
今日のブログでは、残りの2章についてお話しします。
⑥ 歴史
この章で著者が述べている内容は次の二つです。
「そもそも歴史とは何なのか?」
「歴史を学ぶとはどういうことか?」
一つ目の問題について著者は、次のように述べています、
「日本では高校で世界史という科目を習います。ー(中略)ー
ヨーロッパの高校に行くと『歴史』という科目しかありません。『日本には日本史と世界史があります』というとビックリします。では、ヨーロッパの国にとっての『歴史』とは何か。自分の国がヨーロッパの中でどういう位置にあったのか、それを記したのが彼らにとっての『歴史』なのです。」(本書p178~179より引用)
そして、このあとヨーロッパの歴史観は「キリスト教」、日本の歴史観は「天皇制」に基づいていることを述べたのちに、
「キリスト教も天皇制もいわば歴史の『勝ち組』です。そうすると歴史とは常に勝者によって描かれてきた勝者の物語ではないか。このように考えることが出来ると思います。」(本書p181より引用)
この意見については、賛否両論あるように思います。
まず、「勝者の定義」は何かとういうことが問われます。
とは言え、「歴史は後世の人がそれを伝える人の都合で『勝者』を決めて上書きしていく」ということは言えると思います。
このことは、中国や韓国の歴史教育にも現れています。
この章の最後に著者は次のように述べています。
「『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉もあります。自らの経験のみに頼るのは愚かなことである、他人の経験を記した歴史に学ぶべきだ、ということですね。歴史を批判的に眺めながらも、学ぶべき知見は現代に生かす。難しいですが、その積み重ねによってこそ、私たちは過去の愚行から免れるのです。」(本書p220より引用)
まさに、ロシアのプーチン大統領にそのまま聞かせたい言葉です。
ウクライナへの武力侵攻を続ける彼の行動の背景には、KGB(ソ連諜報部)時代に経験した「ベルリンの壁の崩壊」と「ソビエト連邦の崩壊」があると言われています。
今の「ウクライナへの侵攻」は彼の「経験」に基づく行動なのです。
過去に「武力による国境の変更」を試みた国の指導者がどのような末路をたどったかという「歴史」をしっかりと顧みてほしいと願わずにはいられません。
⑦ 日本と日本人
いそいよ最後の章です。
まず、今「日本」を皆さんはどう読まれましたか?
「ニホン」ですか?「ニッポン」ですか?
そう、実は「日本」には二つの読み方があります。
どちらが「正しい読み方」でしょうか?
正解は「どちらも正しい」です。
安土桃山時代に日本に来ていたポルトガル人が書いた書物によると、当時は、日常的な場では「ニホン」と言い、あらたまった場では「ニッポン」と言っていたそうです。
1934年に「どちらかに統一しよう」という動きはあったのですが、それが決まることはなく、2009年に政府の閣議決定で「どちらでも良い」という見解が示されました。
「国の呼び方が二通りある。そして日常的な場所とあらたまった場所で使い分けるというのは、いかにも日本的な感じがします。」(本書p208より引用)
私も同感です。
本章では、このあとに「日本人はどうように誕生してきたのか」が述べられていますが、紙幅がないのでその件は割愛します。
本書の最後に著者はこう述べています。
「現代の私たちの前には、過去の膨大な蓄積があります。そして、過去の蓄積を生かすことで、進歩という言葉が適切かはわかりませんが、私たちはそれまでより豊かな暮らしや社会を築くことができると思います。
現代に生きる私たちにとって、知識の重要さはそこにあります。単に受け取るだけでなく、それを現代に生かし、よりよい社会をつくり、より良い人生を築いていく。それがリベラルアーツというものの価値なのです。」(本書p226より引用)
私も自らの人生をさらにより良いものとして築いていくために、もっともっと教養を深めていきたいと決意を新たにしました!
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、皆さんにとって素敵な一日になりますように。