どうも。南弘一です。千原台高校の校長をしています。とともに、地元熊本でサッカー解説の仕事もしています。
昨日、日本と世界のサッカー界に寂しいニュースが報じられました。
日本では、元日本代表でJリーガーとして一時代を築いてきた遠藤保仁選手の現役引退が報じられ、世界では、元ドイツ代表で選手として、また、監督としてもドイツ代表をW杯の優勝に輝き、その華麗なプレイぶりから「皇帝」と呼ばれたベッケンバウアー氏の逝去が伝えれました。
ということで、今日は、この二つのニュースについてお話しします。よろしくお付き合いください。
まずは、遠藤保仁さんのニュースについてです。
鹿児島県の桜島町に産まれた彼は、三人兄弟の三男で、兄たちの影響でサッカーを始めました。ちなみに、次男の彰弘氏ものちにプロサッカー選手となっています。
高校は地元の強豪校・鹿児島実業高校に入学。1年生では高校選手権で優勝。2年生では高円宮杯で優勝。3年生では高校選手権ベスト8となり、大会の優秀選手に選ばれました。
高校卒業後は、横浜フリューゲルスに入団し、「Jリーガー」としての道を歩み始め、その後、京都パープルサンガ、ガンバ大坂、ジュビロ磐田といったチームで数々の記憶と記録に残るプレーをみせてくれました。
日本代表として、2006年、2010年、2014年の3回のW杯に出場し、2010年南アフリカW杯では、得意のフリーキックでゴールを奪うなど、チームのベスト16進出に大きく貢献しています。
遠藤選手がすごいところは、「生涯Jリーガー」で現役を終えたところです。同年代の高原や稲本、中村俊輔などが、次々とヨーロッパへ渡り、「海外組」として代表でプレーする中で、彼は一度もヨーロッパへ渡ることはなく、Jリーグでプレーし続けました。
昨年、創設30周年を迎えたJリーグの「30年間のMVP」にも選出されています。
現役引退後は、一番長くプレーしたガンバ大坂のトップチームコーチとして「指導者デビュー」するということです。
以前、このブログでお話ししたように、彼の指導者としてのスタートとなる「ライセンス講習会」で講師をさせていただいたご縁もあり、今後の遠藤さんの「コーチ人生」を全力で応援していきます!
海外では、「皇帝」と呼ばれたベッケンバウアー氏の逝去が報じられました。
1974年のW杯では、ドイツ代表の主将としてプレーし、守備時はDFラインの一番後ろでプレーし、攻撃時には果敢に攻撃参加する「リベロ」と呼ばれるポジションでのプレーを確立させた人です。
1974年と言えば、私は10歳。9歳からサッカーを始めた私にとっっては、彼はまさに「サッカー界のヒーロー」でした。
また、現役引退後もドイツ代表監督などとして数々の功績を残し、1990年のイタリアW杯では、監督としてドイツ代表を優勝に導いています。
彼の数々の功績に最大の敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日一日が、あなたにとって素敵な一日になりますように。